スローな生活に新聞は合わない

社会・国際情勢

海ヒト人:もはや、日本の新聞はスローライフの生活には馴染まないものとも言える

スローな生活に新聞は合わない
日常生活を営む上でも、世の中の情報は常に把握しておきたいものです。長らくその不安を解消してきたのが新聞の存在ということでした。しかし、ITの進化によるソーシャルメディアの普及によって、新聞報道の公平性が問われ出すなど、新聞離れが加速し、新聞のもたらす情報は後塵を拝するものと化したのでした。

 

かつては報道界の花形であった新聞社ですが、今や豊富なソーシャルメディアが発達して情報が溢れた時代なので、新聞に頼る時代では無くなったのです。

昔は朝の習慣というと朝食をとりながらテレビをつけ、新聞に目を通すのが日課だったという人は多かった。

ところが今は、新聞に目を通す人は少なくなってしまったようです。

そう、我々庶民はいつの間にか新聞を読まなくなったのです。

私達が若い頃は新聞以外に情報を得る選択肢がなかったので、新聞のもたらす情報は確かに貴重でした。

 

家庭には必ずと言っていいほど配達されていた新聞ですが、まあ、実際には一番目にするのがテレビ欄と社会面を少し眺め、後は見出しのチェックという感じなのです。

昔は新聞を取るのが当たり前の風習だったのでそれに従ったという感じもします。

 

ハッキリ言うと、スローで心地良い生活を送るという視点に於いても、日本の新聞のスタンスはノリが合わない気がしてきたのです。

 

何故、新聞がこれほど敬遠されてしまったのでしょうか、

それは、新聞社の特権意識と驕りが国民に見透かされてしまったからで、彼らを見るとインテリ臭と傲慢の塊としか感じなくなったからです。

 

 

もはや新聞社は長年にわたって情報を独占してきたことで、その姿勢は読ませてやっているという高飛車な感じしか見受けられません。

そもそも新聞記者というのは若手の頃からチヤホヤされるのが当たり前の環境にいるので特建意識が人一倍に根付いてしまっているのです。

なので、自分達は特別だという常に上から目線の思慮の浅い根性の持ち主なのです。

プライドを持つことは大いに結構なことだが、同時に人を蔑む根性が芽生えてしまうところが新聞屋の情けないほどの器量の狭さなのです。

こういう勘違いの馬鹿が書けば、ああいう捻くれた歪曲記事になることは充分にご理解いただけることでしょう。


そもそも、物事での真実は一つなのです。しかし日本の新聞の場合、余りに一方に偏った押しつけ決めつけが多過ぎです。

普通に客観的事実を伝えて読者が感じ取ればいいことで、偏った思想の押し付けはいらないのです。

嘘偽り情報を流して世の中を攪乱させても、余程のことが無い限り、真意を問われることが無いという特権を持つ、実に大甘で緩い組織。

新聞は企業の不祥事があった時には、徹底的に企業倫理を問い糾弾してかかるくせに、一番ガバナンスができていないのが、当の新聞社ということです。

自分に大甘で他者に厳しく、正義の使者を気取る途方もない偽善者集団。


とにかく日本の新聞は洗脳ありき、なので公平を逸脱した報道がまかり通っているので、真意を確認するにも最低2紙を購読しなければならなくなる。

こうして、日本の新聞を読んでいると精神衛生上よくないという人まで現れてしまったのです。

スローライフの実践においても、朝からそんなものを読んだら一日は台無しです。

ネガティブ思考への誘導は清貧無垢な心を蝕んでいくだけなのでスローな気持ちも台無しにされてしまいます。

新聞各社は、ここにきて真価を問われている筈なのに、国民の思いとは裏腹に益々逆行して行くようです。

私自身も広告企画という末端のジャンルにおいて、この業界に携わってきた身ですが、異様な差別感や屈辱を散々味あわされた過去があるので、あんな奴らの書いた記事など読みたくもないという気持ちでいっぱいなのです。

そもそも、政治に失望感を与えてきたのも新聞・テレビのせい、あからさまに対立を煽る記事は時代錯誤の極み、そこからは前向きな話しは生まれない。

新聞が無くなることは残念⁉どころかホットするのでした。

 

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