日本人が大好きだった「海水浴」のルーツ

海の話、釣りの話

海ヒト人:「海水浴」が大好きだった日本人、だが、海水浴客は年々大幅に減り続け、今や海に行っても海水浴はしないという若者が増え続けている

日本人が大好きだった「海水浴」のルーツ
長かった梅雨もようやく終わり、伊東の海も海開きとなり本格的な海水浴シーズンの到来です。今回は、日本人が大好きだった海水浴のルーツに迫ってみます。海水浴の習慣はいつ頃から始まったのか、日本は四方を海で囲まれた海洋国家、なので、海水浴は日本の伝統なのかと思いきや、歴史が浅かった……。

 

長い梅雨も終わり、ようやく本格的な夏の到来です。

しかしながら、コロナの猛威はこれに水を差すかのように勢いを増すばかりです。

こうなっては、いつもの様子とは程遠いのですが、伊東の街も少しずつですが開放感に浸ってきた感じもしてくるのです。

 

我が家の窓から眺めたオレンジビーチの様子。海の家が出揃った。

 

我が家の目の前のオレンジビーチも海の家が立ち並び海開きのスタートです。

 

海開きは夏の始まり、砂浜にビーチパラソルが埋まる光景が何とも言えない開放感を醸し、夏の始まりを告げる、本当にウキウキしてきます。

 

伊東の商店街も少し活気が戻ってきた。

ここにたくさんのビーチパラソルが立つことを期待したい。

 

今回は夏の定番である「海水浴」を取り上げ、戦後、庶民に爆発的に広まった海水浴のルーツなどに迫ってみます。

 

素朴な疑問、「海水浴」って昔からあったの?

日本は海に囲まれた島国なので、「海水浴」は昔からの習慣と思いきや、そうではなかった⁉

 

実は「海水浴」は150年前からという浅い歴史しかなかったのでした。

「海水浴」の生い立ちは、西洋医学の影響から海水に浸かる病気療法として日本に導入されたそうなのです。

 

結局、これがきっかけとなって、明治の後半から大正にかけて、お金持ちの余暇の一つとしてブームとなったわけです。

 

海は信仰の源
それまでは、海は神秘な存在として信仰の対象にもなっていたので、遊びの精神で海を捉えることはなかったのです。

 

特に江戸時代は鎖国政策がとられていたので、幕府は海を厳格な海禁政策によって監理しており、海を行楽の対象とするなど論外だったわけです。

 

いやーてっきり、江戸の庶民は海が目の前なので、海水浴に繰り出しているのかと思いきや、そうではなかったのですね。

 

海水浴の発祥と言えば、明治の元勲たちが別邸とした大磯海水浴場が有名です。

当時の写真を見てみると、海水浴とは言っても、泳ぐというよりは浜辺での水遊びや腰に浸かる程度のようです。

この当時は、それこそ泳ぎをマスターした人などほとんどいなかったのです。

 

海水浴場の概念を変えた「太陽の季節」

本格的に海水浴が庶民に根付いたのは戦後からなのです。

そのきっかけを作ったのは、何と言っても、湘南の海を背景に若者の無軌道な青春を描いた石原慎太郎の出世作「太陽の季節」からでしょう。

まあ、作品自体は賛否両論を呼ぶくらいの出来でしたが、当時の若者が多大な影響を受けたことは確かなことです。

当時の石原慎太郎は、大人の言うことをまったく聞かない、インテリ不良の元祖だったのです。

 

 

この小説の影響によって、夏の海水浴場は、若者の開放のシンボルとされ、男女の出会いの場ともされてきたのです。

 

これ以降、昭和60年代までの間に海水浴場は日本全国に広まっていったというわけです。

 

思い起こせば、昭和40年代から50年代にかけての伊豆地方の活気はもの凄かった。

 

当時は、東伊豆だけでなく電車の通っていない西伊豆地方にも若者やファミリー層が押しかけ、観光客でごった返していたものです。

 

特に西伊豆の手付かずな海の美しさは都会人にとって憧れの的だったのです。

ところが今は、廃れたというか完全に落ち着いた状況となっています。

 

まあ、それにしても庶民の海水浴の歴史となると、100年にも満たないわけなので、流行り廃れが出てきても不思議ではないかも知れませんね。

 

夏は海水浴が定番とされたのは遠い過去の話、今やレジャーの多様化によって、海水浴は数ある夏のアイテムの一つとなってしまった。

何より今の女性は極端に日焼けを嫌うのです。

今日はこれまで、海の話、夏の話はこれからも続きます。

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