スーチー拘束でロヒンギャ問題も泥沼に嵌まった

難民問題

令和のサムライ通信:ロヒンギャ問題の巻

ミャンマーは軍部によるスーチー国家顧問の拘束によって、とうとう予断を許さない緊迫状況となってしまったようです。
そもそもスーチー拘束の背景にはロヒンギャ問題が大きく絡んでくるのです。

今回は難しいロヒンギャ問題をなるべく判りやすく簡単に解説してみます。

ロヒンギャは難民として隣国のバングラデシュに逃れ、劣悪な環境で生活を送っていることは世界中に報道されています。

ロヒンギャ問題は、今では難民問題のなかでも主流の課題となっているのです。

難民に対しては同情的に扱われるのは当然ですが、特にロヒンギャの場合は、戦火を逃れてではなく、命を狙われての逃避行と言えるからです。

ロヒンギャ問題のなぜ?
しかし、戦争状態での難民発生でない場合、何故そうなってしまったのかの疑問、そしてここに行きつくミャンマー政府の事情も知っておかないと話が見えてこないと思うのです。

ロヒンギャ問題に関して日本では、ロヒンギャへの同情ばかりの報道が目につき、ミャンマー側の適切な解説を行う専門家が少ないので偏った認識を植え付けられてしまうのです。

そもそもミャンマーという国は、ロヒンギャだけでなく、少数民族が多いことで民族抗争が絶えない国なのです。カレン族との抗争は60年も続いているくらいです。

ロヒンギャの場合、戦火ではなく迫害の難民と言うことで、ミャンマー政府に対する怪訝だけが先走りするのですが、そもそもこれも西欧植民地主義の悪しき遺産の話なのです。

ミャンマー人とロヒンギャの確執
ロヒンギャは、自分達をミャンマー人とは思っていないのです。そこからこの問題の難しさが発生するのです。

彼らの主張は、あくまでイスラムのロヒンギャとしてミャンマーに住み続け、ミャンマーでの市民権を得たいと願っているわけです。

それに対して、ミャンマー政府は、ロヒンギャなど、この国には存在しないので認めるわけにはいかない、ベンガル人を名乗るのであれば考慮するということなのです。

要は、この国に住み続けたいならばロヒンギャは捨てろと言うことでもあるわけです。

ミャンマー人とロヒンギャの違い
ミャンマー人の9割が仏教徒であるのに対し、ロヒンギャはムスリム、イスラム教徒なのです。しかも、ミャンマーに住みながらもミャンマー語は話さず、独自の言語を使うのです。

ミャンマーに行くと判りますが、ミャンマー人の外見は日本人に近い黄色人種なのです。

対するロヒンギャの人達は、肌の色は浅黒く、目鼻立ちの掘りも深いベンガル系で、日本人が見たらインド人という感じです。

ということで、まったく違う人種であることは一目瞭然なのです。

何故両者は対立するのか
ミャンマーとロヒンギャは、民族の対立というよりは、仏教徒とイスラム教徒の対立なのです。
この宗教の違いこそが激しい対立を生む要因となってしまったことは間違いないが、ミャンマー人が特別にイスラム教を毛嫌いしていたわけでも無いのです。

しかしながら、宗教の違いは、文化と生活習慣の違いを決定的にするものなので、ちょっとした食い違いの連続から端を発して互いに相容れることが難しくなり、挙句の果てには激しい憎悪の嵐へと発展して行ったのです。

宗教の違いは理解できるのですが、ロヒンギャの人たちはなんでここまで嫌われるのですか。

もしかするとミャンマー人には目鼻立ちの整った背の高いロヒンギャに対してコンプレックスもあるかも知れない、ロヒンギャの男たちがミャンマー人の女性と付き合うことを極端に嫌うのです。
また、ロヒンギャは子沢山なので、このままロヒンギャが増え続けたらミャンマーはロヒンギャに乗っ取られてしまうと本気で警戒心を持つ人も多いのだよ。
宗教の違いによる生活習慣は一番だが、ミャンマー人は軍政権時代にロヒンギャ悪と洗脳されていて、ロヒンギャと聞いただけで嫌悪感を示すのです。


対立の歴史は意外と浅い
昔から対立していたのかというと、そうでもないのです。

イギリスの植民地時代にベンガル人の入植がはじまり、日本の統治からビルマ建国後の数年経ってから宗教上の観点から対立が激化して行き、そこから軍事政権の激しい抑圧が始まり、やられたらやり返すの泥沼状態となっていったのです。

最初の時点では、ロヒンギャが住むラカイン州の急進派仏教徒との抗争からはじまり、それに対抗するようにムスリム国家で指導されたロヒンギャの過激分子が加わって激しさを増していき、ロヒンギャ住民への迫害に繋がっていったわけです。

前も質問させていただきましたけど、ミャンマーの人とロヒンギャの人は言葉も違って水が合わないようですね。

ミャンマー国民にはロヒンギャに対する嫌悪感が完璧に根付いてしまっているのです。
なんたって、仏教とイスラムじゃぜんぜん合わないしなあ、
もし、スーチーさんがロヒンギャの肩を持つような態度を取ったとしたら、スーチーさんと云えども国内の求心力は一気に覚めてしまうほどです。
前回も話したけど、ことロヒンギャに対しては、民主化の星と言われたスーチーさんでも迂闊な行動はとれないのです。

 

スーチーさんの支持者もロヒンギャの人達を嫌っているということですよね。

勿論です。事は外国人が思うほど単純なものでは無い、ロヒンギャに対する国民の根は深く、簡単に溝を埋めることは不可能なのです。
外国人から見ればカリスマのスーチーさんの指導力に期待したいところだが、国家権力までを掌握しているわけではないので指導者の立場としても限界にあるということです。

 

スーチーさんは国際社会から失望を買って気の毒な感じになってきました。

日本のマスコミや外国メディアもスーチーさんがなにもしないとやり玉に挙げているが、結構、それなりのビジョンを打ち建ててもいるのです。しかしそれを黙殺して一方的に無能扱いしているのもメディアなのです。
それにしても、あまり、スーチーさんを叩きすぎると不味いのです。失脚はしないだろうが、年齢的に見ても士気が衰え退陣してしまう可能性もある。そうなったら軍部に対抗できる人は誰もいないのだよ。


ロヒンギャ帰還は時期尚早
ロヒンギャ難民を支援して行かなくてはならないことは当然のことです。

しかし、一方的にミャンマー政府を非難して、ロヒンギャの帰還を推し進めることも危険を伴うのです。

ミャンマー政府は国連や欧米などに急かされて帰還を受け入れる発言をしているが、今のところそれは対外的なポーズでしかないのです。

こうして国連などは、ロヒンギャの帰還を早期に実現し解決を図ろうとしていますが、帰ったところで家もインフラも破壊されて何もない状態です。

しかもロヒンギャに対するミャンマー国民の意識は変化の無い嫌悪のままなのです。

そんな所に帰らされて何が出来るというのでしょうか、さすがのロヒンギャ難民も今は帰りたがらないのが理解できます。

民主化されたばかりの国に対して、すべて完璧化を求めること事態に無理があるということかも知れない。

今の時点では、ミャンマー国民にロヒンギャに対しての正しい情報も伝わってこないので、ただ嫌悪感を示すだけなのです。

まとめ
バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプでは、今でも日本以外の外国メディアが殺到している状態ですが、しかしミャンマーへの取材となると規制を恐れてか非常に少ないのです。

難民を生んでしまうミャンマー政府は問われて当然ですが、同情だけが先走って公平性が失われている報道の現状にも違和感を持つのです。

この問題を外国主導で短期に解決しようとしたところで新たな歪が生まれるだけなのです。

今回のケースは、メディアや外国世論がスーチー国家顧問を追い詰め過ぎたことによって起きた事件ともいえるのです。

もし、このまま軍が政権を握ってしまったとすれば、ロヒンギャ問題はパレスチナと同様、取り返しのつかない泥沼に嵌まっていくかも知れません。

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