最大のタブー、ナチスを逃亡させた「バチカン」

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令和のサムライ通信:ナチスを逃亡させた「バチカン」の巻

 

ナチスドイツ敗戦後、多くのナチスの重要人物がアルゼンチンや南米各地に逃亡を図った。

ナチスの戦争犯罪人達は何故、アルゼンチンなどの南米に逃亡できたのか、

今回は、謎に包まれたナチスドイツの逃亡組織「オデッサ」と逃亡の手助けを行った「バチカン」の実態に触れ、例によって、簡単、判りやすく解説してまいります。

 

連合軍とソ連はナチスの犯罪者を何故取り逃がしたのでしょうか、それは、ドイツが東部戦線(対ソ連)と西部戦線(対連合軍)という二つの大戦争を同時に戦っていたことで、大混乱をきたしていたからです。

そして、ドイツ敗戦後、ニュールンベルグ裁判が始まるまでは、連合軍とソ連との調整が中々つかないこともあり、ナチスの犯罪の全容がつかめなかったのです。

この時点では、大悪魔のアイヒマンやメンゲレの役割どころか、存在すら確認できなかったし、重要機密文書はすべて焼却されていたのでホロコーストの解明には、トップ級の戦犯から紐解いていくしかなかったのです。

また、ホロコーストに至っては、唯一残されていたのが、ヴァンゼー会議の資料だけだったのです。

その後、ニュールンベルグ裁判の開廷によって、ナチスの蛮行が次々と明るみに出ることで、大慌てで大捜索が開始されることになったわけです。

結局、このタイムラグが原因で、多くのナチス戦犯を取り逃がすことになるのです。

アイヒマンとかの重要人物を探すのが遅すぎたということでしょうか。

そうだね、そもそも、ニュールンベルグ裁判は、戦争責任を追及する裁判であって、ホロコーストを問う裁判ではないのです。
戦犯への追及の流れの中で、大量虐殺の実態があぶり出されることとなり、世界中を震撼させる大騒ぎとなったのです。

 

学校時代に映像を見ましたがベルリンは瓦礫だらけです。あれだけ大混乱していたら、逃亡者を探すのも大変だったでしょうね。

彼らは、この混乱のドサクサに紛れて逃亡したのだよ、最初は、国内のあちこちに分散して偽名を使って隠れていたのだが、ニュールンベルグ裁判の成り行きを見て、中間幹部達は自分も危ないと察知して一斉に雲隠れしたわけです。

 

もの凄い数の人たちが逃亡したそうですが、よくそんなことができましたね。

そう、この追跡はその後、難関を極めることになるのです。それは、ナチス残党の闇の秘密組織である「オデッサ機関」が逃亡の役割を担っていたからです。
オデッサは、ナチス親衛隊員達を偽名を使わせて匿い、あらゆる手引きを行ったのです。
更に、大量の親衛隊員達の海外への逃亡を手助けしたのは、驚くことにバチカンを筆頭とするカトリック教会の聖職者達だったというわけです。

ナチス救済の密約
何故、バチカンなのか、それは、ナチスもバチカンも反共で反ユダヤという共通性があり、何より、ナチスはバチカンとの間で「政教条約」結んでおり、そして当時のローマ教皇ピウス12世はナチスに寛容だったことで、救済として、ナチス戦犯の逃亡の手助けを行ったというわけなのです。

しかし、戦後のナチスの叩かれ方は尋常ではなかった。
もし、この事実が発覚したら、バチカンと云えども、世界中の非難の嵐に晒され、存在意義すらも問われたであろうと想像できる。

ここまでするのは、もしもの時のトップレベルの密約があったと考えても不思議ではないのです。

南米バチカンルート
こうして、オデッサが匿い、バチカンに誘導させ、海外に逃亡させるというルートが構築されたのです。

ナチス戦犯を追跡するユダヤ人のサイモン・ヴィーゼンタールによれば、オデッサには、バチカン以外にもドイツ国内に秘密のルートが存在しているというのです。

南米に逃亡した多くの戦犯たちは、バチカンから偽造パスポートを取得して、アルゼンチン人やチリ人に成りすまして、現地に逃亡を図ったのです。

その代表が、アドルフ・アイヒマン、ヨーゼフ・メンゲレという悪魔の巨頭です。

逃亡主導責任者アロイス・フーダル大司教
こうして、南米に逃れた多くのナチス戦犯や元親衛隊員は、アルゼンチンだけでなく、ブラジルやチリ、パラグアイでそこそこの成功を収めているのです。

その下地を作ったのは、バチカン内のドイツ派閥の指導者であるアロイス・フーダルという大司教なのです。

え~、世の中驚くことばかりです。あのナチスの人達をキリスト教の神父さん達がかくまって、逃がしてあげた、ということ、ですか。オデッサ、その闇の組織も不気味です。

オデッサに関しては、ベストセラー作家のフレデリック・フォーサイスのオデッサファイルが大ヒットし、映画でも上映されました。是非見てみるといいでしょう。結構スリリングな映画で真実味が増してきます。ただ、残念なのは、さすがのフォーサイスもバチカンまでは避けた感じです。

ここで、ナチス親衛隊についても簡単に説明しておきます
親衛隊はナチス国家の様々な権限を掌握したナチス独特の新しい組織で、爆発的な勢いで組織を拡大して行ったのです。

新しい部署が新設されるごとに若手が異例の昇進を果たすことが出来たので、ハイドリッヒのように30代で将軍になるエリートも存在したのです。

親衛隊は若者を大抜擢し、異例のスピードで昇進を可能とした夢のような組織なのです。

親衛隊は軍隊とは違う
因みに、よく勘違いされるのは、同じ階級であっても、軍隊の階級とは異なるので、軍人として、戦地に派遣される場合は、親衛隊の階級ではなく、軍隊の階級に移管されるので、将軍と云えども軍事キャリアが無ければ少佐レベルの階級になるのです。

親衛隊は、大まかに言うと、思想・警察権限・治安、収容所の監視、占領国の治安維持などを担当する「正規親衛隊員」と、軍隊と協調して最前線で戦う「武装親衛隊員」の二つに分けられます。

このうち、武装親衛隊の場合は、前線において特に、敵国の恨みを買うなどで、常に皆殺しの対称となって組織も壊滅して行ったのです。

しかし、正規の親衛隊員達は、国内での活動や外国での後方活動が主なので、組織も温存され、殆どの親衛隊員は無事であったのです。

「オデッサ」はまさしく、この残党親衛隊員によって組織されたものなのです。

戦後の西ドイツ警察組織は旧親衛隊員が牛耳っていた
当時のドイツ人、西ドイツ政府は戦前に早く蓋をしたいと、ナチスの追及には実に消極的であったのです。

実は、敗戦後のドイツは極端な人手不足となり、司法や警察組織には、多くの元親衛隊員達が潜り込んでいたのです。これではまともに捜査するはずもありません。

しかし、アイヒマン逮捕にも拘ったユダヤ人のサイモン・ヴィーゼンタールは、イスラエルのモサドと協力して、その後も、数々のナチス親衛隊幹部の罪状を追求しては訴訟を起こしたことで、西ドイツ司法当局も重い腰を動かさざるおえなくなり、複数の親衛隊幹部が逮捕摘発されるに至ったのです。

サイモン・ヴィーゼンタールという方は物凄い人ですね、オデッサと言う組織から脅されなかったのですか。

勿論、脅迫は年中で、常に身の危険に晒されていたと言います。
サイモン・ヴィーゼンタールはナチハンターと異名がつくくらいの執念の人で、夫人を含めた一族郎党をホロコーストで殺害されているのです。
彼の勇気で、多くのナチス戦犯が炙りだされ、裁かれることになったのです。

 

まとめ
南米へ渡った元親衛隊員達のほとんどは安泰であった。

フーダル一派は、バチカンのイエズス会が切り開いた南米の町々にナチス残党を招き入れ、多くのナチス関係者は、ここでドイツ人コミュニティを作り上げ余生を送ったのです。

何故、バチカンは叩かれないのか、

それは前も話した通り、戦勝国のアメリカとソ連は、表とは裏腹に、都合よくまったく同じことをしてきたからです。

アメリカは招き入れた多くのナチス関係者のお陰で莫大な利益を上げ、国を繁栄させてきたのです。

同じくソ連は、ナチス関係者をことごとく拉致し、その技術を盗むことでアメリカに対抗できたのです。

みんな同じ穴のムジナということ、なのでアメリカはイスラエルに頭が上がらないのです。

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