植民地主義という征服者の身勝手な論理を知る

海外紛争

令和のサムライ通信:植民地主義の巻

大航海時代に不意に発見されたアメリカ大陸、その発見に世界中がどよめきとともに歓喜に包まれた。
しかし、その後の北米と南米は大きく明暗を分けることとなるのです。
中南米大陸は、スペインとポルトガルという場末の国家に征服されたことで、北米と比べて大きく後れを取ったことは否めない。
未だに続く中南米の発展の遅れと民度の低さは、すべてスペインとポルトガルのせいだ。

 

アメリカ大陸が発見されて、その後の19世紀から20世紀を見ると、北米のアメリカは一気に開発が進んだが、南米はほとんど開発が進まなかった、この差は何だったのだろうか。

南米の発展と繁栄が遅れた理由は、スペインとポルトガルの進出と植民地化が原因と考えられます。

南米はスペインとポルトガル両国が独占したことで、北米と違い、ヨーロッパ勢力が流れてこなかったからです。

簡単に言うと、北米は自由を標榜するフロンティア、かたや南米は、スペインとポルトガル征服の略奪の地であるということです。

トルデシリャス条約
スペインとポルトガルとの間に結んだトルデシリャス条約によって、スペインは南米地域のアステカやインカ、現在のメキシコなどにおける征服の優先権を認められ、ポルトガルは南アメリカの一部、主に現在のブラジル地域での征服が承認されたのです。

こうしたことで、両国はアメリカ大陸を制圧した完全征服者と言う立場で、大量のアフリカの奴隷を労働力として送り込み、植民地化を行ったのです。
植民地化と言っても、彼らには融和的なものは一切なく、現地人は抹殺寸前まで迫害されたのでした。

自由の地、北米アメリカ
一方、北米アメリカの場合、イギリスの植民地として、自由を標榜するイギリスの貧困層を中心とした大量移民によって開拓の基礎が築かれたのです。

そして独立後は、独立を応援したフランス、オランダ、ドイツなどヨーロッパ中から新天地での成功を夢見たフロンティア精神に満ちた移民が増え続け、急ピッチで開発が進んで行ったというわけです。

しかし、人間の自由を謳いながらも、アフリカの黒人奴隷を大量に徴用して、原住民も迫害した事実は拭えません。

確かスペインとポルトガルは、現地の人達とうまくやれなかったことで迫害したと耳にするのですが、結局、スペインとポルトガルの支配は過酷だったということでしょうか。

うまくやれないどころか、彼らは最初から征服者と言う高圧的な立場を振りかざしているので、言うことを聴かなければ皆殺しと言う冷酷スタンスなわけだ。
そして、そもそもの目的が金銀などの財宝の略奪と自国の為の現地生産の供給だけ、現地人のことなど二の次で、彼らの脳裏にあるのは乗っ取りだけなのです。

 

うわっ、ここもそういうことだったんだ。でも宣教師の方たちが熱心に布教活動もしていたのですよね。

そうだけど、宣教師といっても実際こいつらはスパイで秘密情報員でもあったわけなんだ。
ということで、現地人の懐柔には、布教活動を隠れ蓑として現地に送り込んだ宣教師の役割が大きかった。
各地に送り込まれた宣教師の役目は、布教より現地の情報収集がメインで、その土地の人口構成や川の水位などを調べ上げ、地図の作製を行って本国に報告していたのです。

 

なるほど、宣教師といってもスパイの訓練も受けていた人達と言う感じでしょうか。

その通り、現代で言うCIAなどの諜報活動と同じです。ここでの宣教師とは、完全なスパイ活動を兼務していたのです。
さらに、布教活動によってスペイン人が敵意の無い存在であることを印象づけて警戒心を和らげたのです。
そして、スペインはこの貴重な情報を基に、武力をもって現地住民を次々と制圧して行ったというわけだ。

 

え~、キリスト教の宣教師がそんなことをやっていたのですか、それじゃただのだまし討ちじゃないですか、日本に来ていた宣教師もそうだったのですか。

そう、当時の世の中はだまし討ちの世界なのです。
実は、日本で活動した有名なフランシスコ・ザビエルという宣教師も同じことをやっているのです、ザビエルだけでなくルイス・フロイスなんかも、信長、秀吉、家康の性格から権力基盤などを情報収集してイエズス会本部に密かに報告しているのです。さらに日本の各地を回って、日本人の文化と習慣から、藩の勢力図や港の水深なんかも調べ上げていたのです。

日本が侵略されなかったのは、戦に慣れた日本人の手強さを知ったからです。


ラス・カサスの良心の呵責
当時のスペイン人の現地インディオに対する非人道的な残虐行為と迫害は、スペイン人のラス・カサスという修道士がスペイン国王に送った書簡で激しく告発しているのです。

これによって、スペイン人の残虐性が一気に世界中に広まったというわけです。

現地インディオは、迫害と同時に、天然痘、梅毒、淋病、チフス、インフルエンザなどをスペイン人との接触によって、次々と感染していき、多くの部族が消滅するに至ったと言われています。

ただ、多くの宣教師達はまさか、ここまでの蛮行の手助けを行うとは予想もしなかったのです。ラス・カサスの場合も、聖職者として良心の呵責に耐えられなかったのでしょう。

征服者達は大量虐殺のプロ
この時代にアウシュビッツは無い、手当たり次第に虐殺を行ったと言っても、当時の銃火器や手動武器では限界があるのです。
しかし、イギリスやスペイン、ポルトガルなどの征服者たちは大量虐殺の方法を充分に心得ているのです。

それは簡単、人は水と食料を与えなければ餓死していくのです。
これは、最も原始的な体のいい大量虐殺の方法の一つなのです。

スペイン人が南米でやったことは、インドでイギリス人がやったことと大差はないのです。

インドで起こった大量の餓死は、イギリス人からすれば、彼らは勝手に死んでいったのだと罪の意識も無いのです。

スペインの衰退
18世紀後半になると、ヨーロッパの覇権は、スペインからイギリスへと代わり、スペインの国力は、政治の混乱とともに著しく衰退していき、もはや、広大な南米を支えきれなくなるのです。

そうした中、アメリカの独立やフランス革命の影響を受けた民衆は、各地で独立運動の狼煙をあげたのです。そうなると、神通力を失ったスペインの支配者達にはなす術もない。

こうして、1810年には、メキシコ、アルゼンチン、チリ、そして1821年にはペルーがスペインから相次いで独立を果たし、ブラジルも1822年にスペインに吸収されたポルトガルから独立を果たしたのでした。

この、それぞれの国の方は、現地の方たちなのですか、中南米の人とかを見るといろいろな民族の方がいるように感じるのですが。

現在の南米の人種構成は、やはりスペイン人の影響が大きいので、スペイン人と原住民であるインディオが基本となるのです。
その人種の内訳は、ラテンアメリカの先住民である「ネイティブアメリカン」そしてヨーロッパ系とネイティブアメリカンの混血である「メスティーソ」、ヨーロッパ系とアフリカ系の混血の「ムラ―ト」、スペインかポルトガル系の「白人」、奴隷として連れてこられた「アフリカ系黒人」という感じです。

因みに、南米の白人国家であるアルゼンチンの場合、一番多い人種は、イタリア系で、その次がスペイン系となります。

そのアルゼンチンは、20世紀初頭までアメリカに次ぐ経済力を身に着けた南米一の有望な国だったのですが、工業化に失敗したことで、瞬く間に衰退してしまったのです。

結局、その後の南米各国は、大きな発展には恵まれなかったのです。

しかし、南米の国々には、豊富な資源が眠っているのです。ここ数年の開発技術の飛躍的進化に伴い、近年では、巨大マーケットに結びつく可能性も秘めているのです。

まとめ
今回は、スペイン・ポルトガル支配化の南米の流れを簡単に説明してみました。

中南米は、今をもっても植民地時代のトラウマから抜け出せず、異様ともいえる血の気の多い暴力の連鎖が続いているのです。

各地域から集めた奴隷達と迫害尽された原住民を同化させサバイバルな状況下におけば、獣性剥き出しの野蛮が蔓延るのは当然のこと、中米では今なおカオスの状態が続いているのです。

もし中南米が、自然的、平和的に発展を遂げていたとしたら、ここまでの粗暴な退廃は絶対に無かった筈です。

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