アジアを食い物にして逃げ去ったイギリスの罪

海外紛争

令和のサムライ通信:イギリスの罪とアヘン戦争の巻

ミャンマー情勢が緊迫度を増してきています。
しかし、今も永遠と続くミャンマー民族紛争の多くは、基を正せばイギリスの置き土産から発したものなのです。
当時のイギリス人やヨーロッパ人は、インド・アジア人そして中国人を劣等人種と見なしていたので、考えつく悪の限りを尽くしたのです。

 

アジアの国々を散々喰い尽くしておきながら、やりっ放しで逃げ去ったイギリスの罪は重いのです。

やはり、この大混乱を招いた張本人であるイギリスの悪さも引っ張り出さないとフェアではない。

 

今回はイギリスの悪巧みの一つであるアヘン戦争にスポット当て、簡単判りやすく紹介してみます。

 

イギリスと中国の間で起こったアヘン戦争は、どんな理由で起こったのか、アヘンを売りつけたのが東インド会社というけど、東インド会社って一体何なの?

イギリスの悪巧み
当時のイギリスは、紅茶ブームで、中国から大量の中国茶を輸入していたのですが、イギリスからは毛織物や上流階級へのぜいたく品しか売るものがなく、それも殆ど売れなかったのです。
そこで考えついたのがアヘンの密売なのです。

アヘンはケシの実の果汁を乾燥させた麻薬です。アヘンの中には「アルカロイド」という成分が含まれていて、乱用すると幻覚を見るなど、強い禁断症状を引き起こし、精神も肉体もボロボロになるのです。

また、常習者の場合は、アヘンを切らすと、その毒性によって異様な幻覚症状が現れて自制のきかない危険な廃人状態になるのです。

こうしてイギリスは植民地であるインドにケシの栽培を強制し、国家事業としてアヘンの製造に着手したのでした。

国の事業として麻薬を作るなんて、イギリスと言う紳士の国が本当にやっていたのですか。

この当時のイギリス人は今と違って紳士どころか冷酷そのものだよ。
実は中国は、この時点でアヘンの悪弊に手を焼いており、厳しい禁止令を発令していたのです。
しかし、イギリスはそれをチャンスと見なして、中国へのアヘンの密売を目論んだのでした。

 

えーっ、ショック!そうだったんだ。

この策略は、中国との貿易格差で生じた銀の回収を狙った策と清を退廃させ国力を削ぐことを狙ったもので、後々武力で押し退ける為という巧妙な罠だったのです。

 

アヘン戦争の勃発
このイギリスによる罠によって、中国には大量のアヘンが流入し、当然の結果、清国内では極度の荒廃が進んでしまい、風紀も乱れ自暴自棄の下層民が増えてしまったのです。

さらに、両国の貿易収支は瞬く間に逆転し、中国経済は大打撃を受けることとなり、同時に、清の銀保有量も激減したことで、銀も高騰して行ったという、イギリスの思惑通りの展開となったのでした。

この大成功によってイギリスは莫大な資産を獲得したのです。

これに怒った中国はアヘンの全面禁輸を断行し、密売されたアヘンを焼き払ったことで小競り合いとなり、それが発端でアヘン戦争が勃発することとなったというわけです。

こんなことをされたら堪らないですよね、そうか、中国外務省の人達の不信の目は、ここら辺から来ているのか、日本だけではなく、欧米の人達に対しても凄いですよね。

まあ、そういうことだね、中国の人から見れば、もうお前らなんかには舐められないぞって感じだよな、だからどいつもこいつも高飛車で、引きつった顔しているんだよな。

 

その後、アヘン戦争はどうなったのですか。

戦争自体は2年に及び、常にイギリスの優位は揺るがず、一方的な中国の劣勢に終始したのです。とにかく、中国側は、中国本土に侵攻されっ放し状態で、ほとんどの地域はイギリス軍の演習場のごとくにされてしまうというありさまだったのです。
このアヘン戦争の敗北によって、中国清は、香港を割譲するなど屈辱的な不平等条約を結ぶ羽目になったわけだ。

国力を削がれた中国は日本にも敗退
こうして、イギリスの圧倒的な武力に屈した中国は、一気に経済的な停滞を余儀なくされ、社会動乱も招いて支配力を失うのでした。

その後も中国の衰退は止まらず、日清戦争の最中に軍事力の近代化を進めるも、組織の未熟さや、軍内部での腐敗の蔓延により、あえなく、日本に敗北するのです。


イギリス東インド会社とは?
イギリス東インド会社は、イギリス政府から国家行政の特別許可をもらって設立された「勅許会社」で世界最古の株式会社です。

東インド会社って、会社なのになんでこんなに権力を持っているのですか。

会社と言っても、その機能・権限は貿易どころか、自前の軍隊も持っていて、植民地支配や条約締結権などの国家機能を有していて、徴税や通貨発行も行うというとんでもない絶大的な組織なのです。
要は、「国を乗っ取る。支配する。植民地化する。」ための海外での国家体系を整えた都合のいい組織ということです。

「勅許会社」とは、国策企業のこと
当時の航海は命がけのものだったので莫大な資金を必要としたのです。

そして特に、インド洋を超える航海は、かなりの危険とリスクを伴うものだったので、国家の後ろ盾が無くては、航海そのものが実現不可能な時代であったのです。
そこで「勅許会社」すなわち国策企業とすることで、資本投下などの様々なリスクを回避させたというわけです。

当時のインド、アジア地域では、イギリス東インド会社の力は絶大だったのです。

当時のイギリス東インド会社はベンガルアヘンの専売権とその製造権も獲得しており、これ以降同社は中国への組織的なアヘンの売り込みを独占していたのです。

まとめ
よく勘違いされるのですが、当時の東インドとは、インドだけを指すものではなく、アジア地域全般を指すものなのです。

因みに、現在のシンガポールを開いたのも東インド会社の書記官であったラッフルズという人物です。ラッフルズは、過疎な島であったシンガポールをアヘンや中国茶などの東西交易の拠点として着目したのでした。

イギリス東インド会社は、近代兵器を搭載した部隊を進軍させ、制圧したら、自分達の都合のいい法を整備して民衆をがんじがらめにして、富を独占するということを繰り返してきたのです。

イギリスの過酷な政策によって、アジア人の命は物より安くなってしまったのです。

今ではとかく、人道・人権だのという話はヨーロッパ経由でお叱りを受けることが定番となっています。

ちょっと待て!命の値段を安くさせた張本人は誰なのだ!!

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