ODAによって我々の血税が無駄にばら撒かれている

ODAの実態・援助、支援

令和のサムライ通信:ODAの杜撰な実態の巻

税金の無駄遣い、不透明というと、真っ先に思い浮かぶのは、ODAの血税のばら撒きです。
ODAとは、日本の国家予算を捻出して諸外国に援助出資を行う事業のことです。

今回は、ベールに包まれたODAの実態の一部を簡単判りやすく解説してみます。

援助が常態化した日本、外国のメディアからは、日本ほど、国民の血税を意味なく気前よくばら撒く国はないと昔から冷ややかな目がむけられており、更には、日本企業の利益追求のための貧困ビジネス事業「ひも付きのインフラ整備」でしかないと揶揄されてきたのです。

 

こうして、日本のODAは「ばら撒き、血税の無駄使い」という不信と疑心暗鬼のイメージが付き物となったのです。

実際、その通りで、そこには、政治家、官僚、商社、ゼネコン、メーカーなど、援助ビジネスに群がる中抜きなどの利権の巣窟が浮かび上がってくるのです。

ひも付きって、援助するけど日本も儲けさせてくださいという感じのことですよね。

まあ、旨い商売の仕方なのだけどね、他国から見たら汚いやり口に見えちゃうし、しかも、相手が独裁者や問題のある国だろうが、自分達の利益の為に見境なく援助する行為は世界中から顰蹙を買ってきたのだよ。

 

そうか、もうけのために援助するって感じになっているのでしょうか。

まあ、すべてがそうじゃないのだけど、日本の場合、特定企業の儲けのためにやっていることが見え見えだからね、何の監視も無いし、こんなばら撒き体質では、疑惑の極みとしか映らないでしょう。
なので、外国人から見たらこんないい加減なやり方で税金が使われることに、よく国民は怒らないのか不思議に思うそうです。そもそも国民は、この実態を知りえないので、文句の言いようもないわけなんだけどね。

 

このやり方をしているのは日本だけのことなのでしょうか。

このやり方は敗戦国日本の特質なのです、まあ、今では中国に真似されちゃったけど。
外国の場合、国家予算の海外への支出に関しては、国民に対しての透明性も求められるので、議会に諮って承認を得る必要があり、日本みたいに、安易に国民の血税が使われることは無いのです。
しかし、欧米先進国がこれだけ厳しくしても、抜け駆けが生じるのが、海外援助事業というものなのです。

 

ODAに対して国民の多くが不信感を持っているのであれば、本来は野党やマスコミがもっと取り上げるべきですよね。

まあ、相変わらずの話で、日本のマスコミや野党は、国内の敵対勢力への攻撃の勇ましさとは打って変わり、特に外国が絡むと途端に弱腰となり、実態解明どころか、知らんぷりを決め込み、意図的に突っ込まないのです。
日本のマスコミの中では、系列以外の雑誌媒体でODAの不透明な事案に火をつけてくれることはあるのだけど、何せ相手国の存在もあるので、いつも話が途切れてしまうのです。

本来は、これこそは海外云々ではなく、日本国民の血税の支出なので、国内の大問題の筈なのです。

しかしながらODA関連となると、野党は静観、マスコミの扱いも小さいし、結局は海外の話という次元にされて、日常とかけ離れた感覚に陥ってしまうので、国民の関心も薄くなるのです。

何故、ODAの不透明な実態があまり問われないのか
それは、金満政治家たちの利権構造、ODAを取り仕切るJICAの官僚体質、悪の仲介屋、取り巻き企業の阿漕さ、野党の体たらく、マスコミの情けなさ、等によって実態を闇に包ませているからです。

善意のカムフラージュ
敗戦国のしがらみもあるが、日本人は「善意」という言葉に非常に弱いのです。
国内での事業と違って、国際間の事業の場合、援助・支援・貢献という善意が建前となるので、ODAはカムフラージュが出来るのです。

敗戦国としての特異性
戦後の日本の援助は、賠償としての意味合いが大きかった。なので、敗戦国の弱い立場として相手国に対して非礼となることは極力避けたいという思いがある。それが、ODAの実態をベールに包ませた要因です。JICAは、これを理由に世間の眼をかわしてきたのです。

悪しき役人根性
しかし、賠償関連の援助はすでにやり尽くして終了しているし、アフリカ諸国や中南米への援助などは、賠償の関連性もまったく無いはず。

要するに、血税という意識も無い役人根性と相手国への平身低頭という、くだらない習慣が身につき、金銭感覚の麻痺も手伝って、いい加減な大盤振る舞いが当たり前という風習になっているということなのです。

機密のベール
また、明らかにおかしいと思っても、国家間の機密事項となるので、すべてを公に出来ない部分も出てくるわけです。

特に、独裁国家へのODAの取り交わしは、密室的なものが多く、中々踏み込めず実態の解明を困難にさせているのです。
そもそも途上国の殆どは賄賂、汚職が日常化しているのです。JICAの職員達もそのドサクサに紛れて私腹を肥やす連中も多いのです。

このような複雑な絡みがあるので、日本のマスコミも簡単には踏み込めない、たとえ踏み込んだとしても、国民受けしないネタなので、静観を決め込んでいるのです。

むなしい援助の実態
日本のODAが何とも情けないのは、あれだけ莫大な援助を行いながら、相手国には大して感謝されていないという実態。

無償援助してあげても、「あいつら金持ちなんだから、援助するのは当然」と思われてしまっている。

予算の消化というクズの連鎖
お金を貸してあげても、殆どは焦げ付きで、まったく返してもらえない、しかも、その相手にまたお金を貸して、返してもらえないを何度も繰り返しているというキチガイ染みたバカをやっていること、最初から焦げ付くのを分かっていながら同じことを毎度繰り返しているのです。

これは単純に言うと「我々にはお金が余っておりますから返さなくても結構ですよ。それより、さらにお金貸しますよ、返済は気が向いた時で結構ですから」といって、気前よくお金(国民の血税)をばら撒いていることになるわけです。

何故、こんなことをするのか、それは与えられた予算(血税)を消化したいからです。

今までの概算で3兆円近くが焦げ付いている事実、国民の血税を何と心得ているのか、開いた口が塞がらない。

これが、ODAの実態なのです。

まとめ
日本は長年のODA支援の悪しきしがらみによって、海外優先のおかしな風習がまかり通っているのです。

日本国内のインフラが老朽化しているのに予算を振り分けなかったり、自然災害による被害が後を絶たない現実をもっと直視して堤防や護岸整備に重点を置くべきなのに後回しにしているのです。

海外に気前よく金をばら撒くくらいなら、そこから手を付けるべきだ。

今回は、簡単に触れましたが、ODAの実態は、調べれば調べるほどいい加減な話が出てくるし、おかしな話、様々な謎が出てくるのです。

今後も同じばら撒きが繰り返されることは目に見えています。国民はもっと厳しい目で監視して行かねばならないのです。

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