「記者クラブ」は特定メディアの独占を生み、ジャーナリスト精神も失墜させるもの

マスコミは国民の敵

令和のサムライ通信:記者クラブの巻

悪しき「記者クラブ」の実態、マスコミ報道に談合、癒着は無用なのです。
日本ではよく聞く記者クラブ、実はこれ、日本だけに存在する特定メディアだけが得する都合のいい、なあなあの組織なのです。

今回は、日本独自の「記者クラブ」という報道業界の談合組織にスポットを当て簡単、判りやすく解説して行きます。


報道への信頼性は情けないほどに著しく低下しています。今では、マスコミ報道は疑いを持って眺めるべしが、常識となりつつある。

もはや、ここまで来たら、報道の悪しき牙城である「記者クラブ」という癒着構造は、完全に廃止すべき時期に来たと言えますが、情報をお役所に頼り切った甘い体質の大手マスコミに取っては、中々それも出来ないようです。

問題になった検察庁のトップと記者連達との接待麻雀。こういう癒着は昔ながらのもので、どの官僚も当たり前のように行っていたのです。関係を密にすることは双方に取ってメリットがあることで、効率もいいと考えてのことなのでしょう、勿論、こうした癒着の根源は記者クラブからくるものです。

しかしマスコミと官僚との関係は、互いが利益を生み出す民間同士の商取引とは違うのです。こういう風習が慣例化してきたことは非常に問題なわけです。

記者クラブは、談合体質の温床
「記者クラブ」とは、先進国には無い、日本特有の時代錯誤で、恥ずかしいほどの慣例を維持した組織なのです。

弱小メディアを排除する閉鎖的な体質で大手特定メディアだけを優遇する。こうして、悪しき特権構造を作り上げ、横並びの記事が常態化して行ったのです。

記者クラブと聞くだけで凄い仕事場だなと憧れを持つのですが、やはりなれ合いみたいなところもあるわけですね。

いやあ、ぜんぜんあんなもん凄くもなんともないよ、馴れあいもいいところ、向こうから記事ネタを提供してくれるわけだしね。
記者クラブは全国無数にあり、配属されるのは入社3~5年のパシリ記者で若手しかいないのです。通常は3年の在籍で異動が繰り返されるのです。
昔からの伝統で来ている組織なので、そこに当て嵌められて仕事をこなすだけ、若手だし、直ぐに移動になるし、そこに矛盾を感じて改善を促すなんて奴は一人も現れないのです。

 

でも、記者クラブが無くなると困るのですよね。

それは、大手マスコミ連中は今のやり方でずっと来ているので変えたら少しは難義するけど、そもそも、こんなものは日本だけのものなので、記者クラブが無ければ仕事が出来ないなどと言うことは絶対にあり得ないのです。

 

なぜ、記者クラブのことが叩かれるのですか。

問題は記者クラブそのものが悪いのではなく、組織の在り方に問題があるのです。
現状は大手マスコミだけの牙城となっていて、雑誌社や弱小メディアを締め出し特権的な立場を作り上げているからなんだよ。自分達だけで情報を抱えるなんてフェアな話じゃないよね。

記者クラブの取り仕切りは、報道陣と官僚などの互いが都合よく忖度し合うという癒着の構造で成り立っているので、記者クラブで流された情報は検証もしないでダイレクトに報道されることが多い、特に警察と癒着した、警察発表の事件記事では、書き写しで世の中を欺いているのです。

日頃は政府に盾突く姿勢を見せながら、ここではちゃっかりと政府に情報を貰っていてなあなあの関係を築いているのです。
日本のマスコミが信用されないのはこの辺の優柔不断さがあるからです。

記者クラブの閉鎖性は、報道機関にあるまじき体質です。そこには暗黙の掟となあなあな連帯があるので、それをはみ出す行為は許されないのです。

そのせいで、斬新なスクープを提供するのは、記者クラブに所属していない雑誌社やフリージャーナリストが多くなるわけです。

マスコミへの信頼度は最低
ここにきて、マスコミへの信頼は情けないほど地に落ちた状態ですが、その問題点を追及するお仲間のマスコミは殆ど無いに等しい、それも当たり前、自分達の都合の悪い話は、無視、報道しない自由を行使するからです。

そして、記者クラブによってマスコミ同士の癒着の構造が作られる。これが日本独特のマスコミの実態なのです。

マスコミの腐った体質を見抜いていた田中康夫元長野県知事
記者クラブの廃止というと、20年ほど前に田中康夫氏が長野県知事時代に行った「脱・記者クラブ宣言」を思い起こします。

日本の報道の在り方に対して警鐘を促し、特権に胡坐をかく記者クラブの体質に、初めて公に意を唱えたのが田中氏であった。

しかし、この時代は文字通り、マスコミによる主導、扇動状態が定着していたこともあり、マスコミのやりたい放題がまかり通っていた時代なのです。

勿論、今のようにネットも無い時代なわけで、結局、体質を正そうとする情報発信さえも敵対する新聞傘下のテレビを使うしか手立てが無かったわけで、中途半端な状態で終わってしまったのです。

また、この時代はまだ、マスコミに対する真意と実態が掴みづらかったこともあり、不信は抱いても、マスコミに一般大衆が意見するなどの世論形成が存在していなかったことで共鳴者も少なかったのです。

田中氏の記者クラブ批判は、非常に的を得た警鐘でしたが、残念ながら、この時代ではまだ機が熟していなかったわけです。

記者クラブがあることで、同じ内容の報道も多くなるということですか。

この記者クラブと言う異質な存在があることで、同じ内容の記事がやたらに多くなるのは当然のこと、例えば、外国では通信社が拾ってきた情報を新聞社が裏取りして情報を集め詳細に報道するのが定番ですが、日本の場合は記者クラブなどでの暗黙の掟があるので、はみ出すことが出来ない、結局、横並び報道が主流となるのです。

それは、共同通信や時事通信に頼り切った地方新聞社の体質も同じで違和感だらけ、他から買ってきた記事をそのまま掲載するというのも報道機関として実に無責任な話です。

結局、大手のマスコミが記者クラブを独占して敷居を高くして中を見せないようにしているということですね。

原則、記者クラブに所属できるのは、日本新聞協会と日本民間放送連盟などに加盟している記者だけで、後は特別分野の記者クラブに業界紙記者が含まれているだけなのです。
先にも言いましたが、記者クラブ側が新参社や雑誌社などを排除して独占しているということです。
記者クラブをベールに包まれた特権的牙城にすることで、他を排除して自分達だけが報道を牛耳ることが出来るという矛盾だらけの悪辣さ、こうして、官僚や国家権力と報道陣の互いが一目置き合う癒着となあなあぶりが生じるわけだ。

外国特派員から見ても日本の記者クラブの体質は異常に感じるそうで、記者クラブ内には、国民が知らない秘密が数多く存在していると批判しているのです。

日本のマスコミの信頼度は後進国並み
日本のマスコミ報道機関の信頼度は、言論の自由を謳う国境なき記者団が発表する報道の自由度ランキングでは、記者クラブの存在が重くのしかかり、日本は180カ国中72位という体たらくで報道後進国のレッテルを張られているのです。

まとめ
記者クラブで、ある程度統一されているのは警察記者クラブくらいで、中央省庁ではクラブによって独自の決まりがバラバラなのでクラブの実態を知ることは中々難しいのです。

また、自治体の場合も伝統的な特徴を持った運営を行っており、庶民には見えない閉鎖的な運営を行っていると言っていいでしょう。

彼らマスコミに記者クラブの存在意義を問い詰めても、各クラブに委任したことなのでよく判らないなどと、あたかも、我々の職務において記者クラブの存在なんてたいして重要性もないなどのはぐらかしを言うだけで、的を得た回答も無く、得意技のスットボケが始まるのです。

もはや記者クラブの存在は問われて然るべきなのです。
記者クラブによって緩い体質が築かれているということは、報道としての価値も緩いものであるということに他ならない。

新聞・テレビマスコミの記者クラブに頼る体質は、取材力の脆弱性を招き本来あるべきジャーナリスト精神も失わせるものなのです。

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