新聞屋に消された日本人唯一のノーベル平和賞受賞者

マスコミは国民の敵

令和のサムライ通信:新聞屋に消された佐藤栄作の巻

日本人で唯一のノーベル平和賞を受賞した「佐藤栄作元総理大臣」をご存じでしょうか、彼こそは新聞社と激しく対立して、世の中から名前を抹殺された人物なのです。
佐藤総理と言ってもピンと来ない方もいるかもしれません。

今回は、佐藤氏と新聞社との対立の経緯と、本来は最大級に評されて然るべき佐藤氏の実績と功績を簡単判りやすくお伝えして行きます。

佐藤元総理とは、安倍前首相に抜かれるまでは、首相在任7年8か月の連続在任記録を持ち、70年安保の騒乱の真っ只中に首相勤め、高度経済成長期に異例の長期政権を成し遂げ、沖縄返還を実現させた人物です。兄は岸信介56、57代総理大臣。

この時代は、左翼化の全盛期であった為、朝日などに傾倒され、マスコミ全体が左傾化していった時期なのです。

そうした中での佐藤バッシングはかなり酷かった。

今の安倍前政権や菅政権どころではない、佐藤総理もさぞかし、やりづらかったことでしょう、やることなすことケチがついて褒められたためしが無かったように記憶しています。

当時の自民政治家は、汚職などが暴かれ、政治家は金に塗れた職業としてダーティーなイメージがつきものだった。

そうした中、佐藤総理には、マスコミから地味で暗くてふんぞり返っているというイメージが作り上げられていたのです。

当時の国民はマスコミ報道を信じ込んでいたので、今以上に政治家を軽く見ていたのです。

佐藤総理大臣は、失礼ながらまったく知りません、どういう方ですか。

1960年代から1970年という過激派左翼の全盛時の時の首相を務めた人で、今の安部前首相とそっくりで一生懸命にやっているのだけど、何をするのも野党社会党(立憲)から攻撃され、朝日からはケチョケチョに書かれて気の毒な首相という感じだったね。安部さんの3倍くらいは叩かれた人で、今思うと可哀想な人だったな。

 

佐藤総理のどういうところが叩かれたのでしょうか。

その一つは、当時の佐藤総理のもとで、日本は、アメリカのベトナムへの介入という政策を支持したのです。
韓国はアメリカの要請で軍隊を派遣することになったのですが、しかし日本は旨く逃げ切り、米軍の補給基地という役割を果たしたわけです。

しかし、それに対しても反発した社会党や共産党、労働組合そして全共闘などの左翼勢力は、長期政権にしがみつく佐藤総理を朝日などの新聞マスコミを使って徹底的にバッシングしたのです。

そして、佐藤総理が実現させた「日韓基本条約」に対しても、当時の左翼メディアの中心だった朝日を筆頭に各マスコミが一斉に反発したのです。

朝日と社会党、共産党は、韓国は独裁国家でしかなく、北朝鮮は理想的な民主主義を唱えた国家であると、条約を結ぶのは北朝鮮であると大論争に発展したわけです。

それだけでも凄いですね、その他の佐藤総理の功績というと何がありますか。

佐藤総理の最大の功績は、何といっても「沖縄返還」を成し遂げたことです。
「沖縄返還」これこそが戦後の日本にとっては大きな歴史の転換点であり文句の無い功績です。
今では考えられないですが、当時の日本人は沖縄が返還されるなどとは誰も思ってもいなかったのです。
その機運すらなく、不可能だと思っていたのです。
沖縄に行くにはパスポートが必要で、通貨もドルだったし、勿論、道路も右側通行だった。

 

えっ、沖縄返還、そうか沖縄返還と聞いても私たちの年代は沖縄は最初から日本だと思っているのでなんかピンときませんけど、考えてみたら戦後30年近く戻ってこなかったのですよね、これを実現したということは、戦後の一番の功績と言ってもいいですよね。

佐藤総理が沖縄訪問で、「沖縄が返還されるまで日本の戦後は終わらない」と発言した時は、誰もが勇み足で、不味いな、こんなことを言っていいのかな、という感じだったそうだ。
ところが急転直下で、ニクソン政権との政治取引でいきなり実現させてしまったのです。

 

沖縄の返還という物凄い功績をあげたわりには、この方の名前って出てきませんよね。

そうなんだよ、それは後に話すけど、これこそが、俺達を中傷した佐藤の功績はすべて削れという新聞社の陰湿な抹殺指令なんだよな、新聞社のやっていることは共産党の独裁者と被るよな。


世相を意のままに操る新聞社様

しかしながら、「日中国交正常化」の田中角栄元総理大臣は大きく取り上げられるのに対して、佐藤元総理は殆ど無視されているのです。

何故、佐藤元総理の功績は無視され、こんなに人気が無いのか、それは、「俺たちに逆らったから、俺たちに生意気な口をきいたから」という権力者の方針によって抹殺されたからです。

その権力者とは、新聞マスコミ様です。

怒涛の退陣劇
佐藤元総理は、マスコミによる偏向報道やバッシングに、ほとほと嫌気がさしており、とうとう首相退任の会見で堪忍袋の緒が切れてしまい、以下の発言となったのです。

1972年6月17日の首相退陣表明記者会見の冒頭、佐藤総理は「テレビカメラはどこかね?テレビカメラ…。どこにNHKがいるとか、どこに何々いるとか、これをやっぱり言ってくれないかな。新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると真意が違うからね。さっきもいったように偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接国民に話したい。やり直そうよ、記者は帰って下さい」と発言。

これに反発した新聞記者が「内閣記者会としてはさっきの発言、テレビと新聞を分ける考えは絶対許せない」と抗議した「それならば出てってください。構わないですよ。やりましょう」これに怒った記者全員が退席。がらんとした会見場で、佐藤元総理はひとりテレビカメラに向かって演説した。
という異様な退陣劇となったのです。

この異様な光景はその日のテレビなどでも放送され、佐藤元総理が一番毛嫌いしていた朝日新聞などは、「ガランとした首相官邸の会見室で、首相はモノいわぬ機械に向かって一人でしゃべっていた」と一国の首相退陣劇を突き放すように小馬鹿にして締めくくったのでした。

この一件によって、佐藤元総理はマスコミのかん口令によって抹殺されたのです。

今にいたっても、マスコミは佐藤元総理の功績を殆ど伝えない。報道しない自由(無視する)、それどころか、そんな人物いたの?というくらいの扱いです。

新聞が伝えなければ、子分のテレビも伝えない。そんなこんなで忘れ去られていったのが佐藤元総理なのです。

これこそが、「俺達を怒らせたらこうなるぞ」というヤクザまがいのマスコミ権力の横暴なのです。

佐藤元総理の非核三原則やアジアの平和への貢献を理由にしたノーベル賞の受賞には、いささか疑問はあるが、彼が成し遂げた功績は歴代総理の中でも抜き出ており、何があろうとも、これは公平に評価しなければならないと思うのです。

まとめ
沖縄返還、非核三原則、日韓基本条約、日米安保条約の延長、農地被買収報償法の制定、環境庁の設置。

今も残る「敬老の日」「体育の日」「建国記念の日」をつくったのも佐藤元総理です。

そして、日本初のノーベル平和賞受賞者。

佐藤栄作こそは、朝日筆頭のマスコミから抹殺された悲劇の総理なのです。

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