「英雄伝説を斬る」西郷隆盛は善人なのか

歴史人物 本物と虚像

令和のサムライ通信:「英雄伝説を斬る」西郷隆盛の巻

今回は、坂本龍馬とともに、日本人の理想の如く祀り上げられて来た西郷隆盛という人物に迫ってみます。
西郷は、本当に誰からも好かれる太っ腹で器の大きい理想の人物だったのだろうか、ここに来て西郷善人説に疑問を呈する人も増えてきているのです。

 

西郷さんは理想的な人物という俗説が定着してしまい、「西郷の悪口を言ってはならない」という言論統制的な風習が作り上げられていて実に不愉快という人も多いのです。

確かに西郷は、物事に動じない凄みのある人物で交渉術にも長けていたことは間違いないでしょう。しかし、善人者、人格者は、余計な取ってつけなのです。

 

虚構の人物、西郷
そもそも西郷人気とは何か、「西郷の持つ器の大きさ」だの「誰からも愛される人柄」だのと、人の良さと人望が必要以上に強調されることで完全なる虚構の人物像が出来上がる。

こうなると時間が経てば経つほど伝説化は進んでいくので完全なる虚構の善人説が出来上がるのです。
西郷さんは大物過ぎて、「批判はまかりならん」にしてはダメなのです。

西郷の偽りの善人人物像は、周りを無理やり悪人化して、無理やり善人感を引き出しているということに尽きるのです。

西郷善人の演出
結局、西郷さんはかなりの悪なので、それをかき消すために周りをもっと悪に仕立てて脇固めが必要となる。

ということで、西郷善人説を演出するために、大久保や久光をケチョケッチョな悪役に仕立てて対比させることが定番となってしまったのです。

西郷伝説安泰のためにも、彼らは永遠に悪のままでいてほしいということでしょう。

しかし、これじゃ余りにも、大久保も久光も気の毒だと思いませんか、この二人を悪人に仕立てるのは行き過ぎもいいところ、この二人は、世に対しかなりの貢献をしてきた筈です。

第一、西郷さんを光の当たる重要ポストに登用したのは久光でしょう、なのに恩もへったくれも無い態度、西郷は器量が狭いので、いつまでも斉彬一辺倒、島流しの恨みつらみで凝り固まっているのか、殿様に向かって「あんたじゃ無理」だなんて、いい歳して礼儀を知らなすぎですよ、末端の下級武士のくせして、雲の上の殿様に対するこの態度は常軌を逸していると思いませんか、

頑固過ぎの決めつけと言いがかりで、西郷さんは、人を見る目がないこともバレてしまったのです。

西郷を見直す
これからは、西郷さんは、良い人ではあったが、半分は悪いことをした人と認識しよう。

偏った善人伝説はもう結構、一般大衆に押し付けないで頂きたいものです。

西郷さんは、半分善人、半分は悪の人でしたと正直に言ってくれれば、人間味のある西郷さんの姿が浮かび上がり、より身近に感じられるということです。

西郷の性格
お決まりの話ですけど、西郷さんの正体や性格もざっと紹介しておきましょう。

西郷さんの性格は、冷酷短期で喧嘩早くて、結構神経が細かくて策略家、逆恨みが激しくて、優柔不断で、女好き、だそうです。

西郷の極悪非道
西郷さんの冷徹の本領発揮は、赤報隊を巧みに操った一件ともいわれております。

そして、極めつけは、「薩摩御用盗」というテロ組織を作り上げて江戸の焼き討ちを繰り返し、強盗・殺人・強姦・放火とありとあらゆる犯罪を行ったことです。

更に、江戸の老舗の大店を次々と襲撃して、大金を強奪して家人までも皆殺しにするという念の入れよう。
挙句の果てには江戸城へも放火するなど、平和な江戸を恐怖のどん底に陥れたのでした。

この極悪非道は周到な計画のもとで実行されたもので、いくら幕府軍を挑発する為としても、こんなやり口は相当な冷酷さがないと考えもつかないわけです。

西郷さんは江戸を無血開城させた英雄というが、実際には薩摩によって江戸は多くの血が流されたわけです。

当時の幕府は弱体化したとはいえ、政権側としてのプライドと武士道精神を持ち合わせていたのです。しかし、田舎武士の西郷さんには全く通じない。

西郷の凄み
新体制を決める小御所会議でも、西郷さんは「短刀一本あればすむことだ」とドスの利いた恫喝で反対派をビビらせ、ヤクザまがいの脅しによって無茶な条件を認めさせたのです。

戦争屋の西郷さんの頭には武力による政権奪取しかないのです。
結局、西郷さんの卑劣な策略が功を奏し、無意味な戊辰戦争が勃発して多くの命が奪われるのでした。

江戸の無血開城後も、西郷さんの冷酷さは止まらず、会津を中心とした東北地方で政府軍による凄惨な殺戮が行われたのです。

何が「敬天愛人」だよ、話がまったく違うぞ!!
西郷さんは、自分と対立する者には、躊躇しなかった。味方でも容赦なく切り捨てる冷酷さを持ち合わせていたそうです。

西郷さんは「生涯不犯」(女性とかかわらない)を誓っていた?

薩摩藩は西郷さんに「月照の斬り捨て」を命令していたが、不憫に思った西郷が一緒に入水自殺を図る。

男と無理心中なんて西郷さんのイメージにも合わないが、まあ、噂どおりホモの関係だったのでしょう。けど、一緒に飛び込んで何で西郷さんだけが助かるのかの不思議。

「生涯不犯」って、ホモの関係や3回の結婚、そして愛人の存在、このおっさん、偉そうなことを言う割には結構いい加減なのです。

それも趣味の悪いデブ専好みで、「豚姫」という奈良屋というお茶屋のお虎との関係は有名です。因みに、せごどんで、お虎を演じていたのは、ハリセンボンの近藤春菜でした。

大久保は常に陰湿に画かれる
西郷さんと大久保を比較すると、西郷さんは武の人、大久保は知の人、

武力は勝てば武勇伝となり、しかも派手で解りやすいので絵にもなる。

しかし、政治は世の改革であり、将来の展望、法律の定めなど地味で分かりにくいので一般大衆向けしない。

単純に考えても、西郷さんイコール陽、大久保イコール陰の構図が出来上がった。

作家先生が西郷さんを英雄に仕立てるのは、至極当然ともいえます。

冷静に考えれば、ほったらかしにして逃げた西郷さんより大久保の方が、遥かに日本の近代化に尽くしている。

大久保がいなかったら、日本は確実に欧米列強の植民地となっていたと推測する人は多い。

久光はバカ殿扱い
久光も同じ、西郷さんとの確執があるので、斉彬と対比させて、久光=悪として物語を設定してしまう風習がまかり通ってしまっている。

NHKの「せごどん」を見ても、余りに気の毒な小心者の設定で、ここまでくると歴史の歪曲です。実際の久光は、教養を備えた行動力のある知識人で、斉彬より余程久光の方が世の中に貢献しているのです。

征韓論の過剰な脚色
まあ、どのドラマ仕立てを見ても、西郷さんを悪者や半島さんたちのターゲットにさせない為に、「朝鮮の人たちも、おいどんが話せば分かり申す」なんて、やんわりなセリフを言わせていますが、実際の西郷さんは、朝鮮なんか眼中にないと心底バカにしていたはずです。でなければ征韓論なんて唱えませんよね。

西郷さんだけが朝鮮に理解があった、ふうに演出するのもやめてほしいものです。

当時の朝鮮は国でもなかったので、みんな軽く見ていたのです。

その急先鋒は西郷さんだということ、くだらん気遣いは止めにしたほうがいい。

文人への変身
西郷さんが少し変わっていったのは、明治政府の重臣として武人から文人へと変身し政治に携わったころです。

遅まきながら悪の限りを尽くした過去と、そのせいで多くの部下を死なせてしまったことを深く反省したのか、太っ腹ないい人を演じるようになったのです。

しかし、明治政府は所詮、田舎もんの集まりなので、まとまりも無い、そんな中で、優柔不断に太っ腹やいい人をやられてしまうと、更に話が前に進まないのです。

自分の優柔不断から混乱を招いておきながら、とうとう持ち前の短気が再発してしまい、投げ出して田舎に引っ込んじゃったのでした。

結局、この人は政治的には何がしたかったのだろうか。

最後に、
西郷さんを善人から急転直下の極悪人に格下げしようとしているわけではありません。

NHKなどによる過剰とも言える西郷善人の演出を見るにつけ、とても違和感を感じるので、善人度の比率を適正な基準にさせ、贔屓の無いように調整するだけなのです。

善人5割、悪人5割のフィフティフィフティにする。これは西郷さんや鹿児島県人にとっても決して悪い条件ではありません。

西郷、大久保、久光、斉彬、それぞれフィフティフィフティで、仲良く手打ちと致しましょう。

 

う~ん……、そうだったのですかぁ……、確かに西郷さんは悪く言われることはないですよね、できれば大久保さんをもっと評価してもらいたいです。

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