歴史の謎、坂本龍馬英雄伝に迫る

歴史人物 本物と虚像

令和のサムライ通信:龍馬英雄伝の謎の巻

2021年新年あけましておめでとうございます。

新年最初の記事は、暮れに続き、幕末の虚像の英雄「坂本龍馬伝説」に迫ってみます。

坂本龍馬とは明治の放蕩作家が作り上げ、昭和の怪物作家が完璧な形にリメイクを施した歴史上稀に見る虚像の完成品なのだろうか。
今更何故、龍馬なのか、それは司馬マジックに洗脳された我々の年代は、ようやく龍馬伝説の洗脳状態から目が覚めたからです。

龍馬の話が本物だったら、明治初期の段階で西郷ではなく、龍馬の銅像が上野に建っているはずだと、龍馬の存在に疑問を持つ人が多くなってきたのです。

今となって聞くと、もっともな話のようにも感じてしまうのです。

そうした中、とうとう、坂本龍馬の話は学校の教科書からも消えてしまったのです。

坂本龍馬の存在は、昭和の怪物作家である司馬遼太郎により、史実に絡めて巧妙に当て嵌められてきたので、歴史のプロも異論を挟めなかったのです。

司馬遼太郎の国民的大ベストセラー「竜馬がいく」の殆どが嘘偽りであることは、歴史家や同業作家先生達は充分に判っていたことなのです。

しかし、当時の環境では、あれは殆ど作り話と言える状況ではなかったのです。

当時、龍馬を否定するには勇気が要ったのです、それは、司馬マジックに洗脳された龍馬信者を敵に回すこととなるからです。

こうしてプロの歴史家や作家先生達からすれば、龍馬の議論は、深入りして余計なことをいうと敵を作るだけで、無難に話を合わせることが一番いいということになってしまい偽り伝説が広がって行ったのです。

ということで、スーパースター龍馬の英雄伝は、司馬マジックだけでなく、歴史家の先生方の優柔不断がそれを助長したとも言えるのです。

明治維新のころは坂本龍馬のことを知る人は誰もいなかったという話を聞きますが、それって変な話ですよね。

単純に考えても疑問だらけだよね。明治維新になって、ようやく平和な世の中が訪れたのに、この平和の礎を築いてくれたのは龍馬あってのこと、その維新最大の功労者である龍馬の存在を誰もが忘れてしまい、数々の功績も完璧に忘れ去られていたなんてどう考えたっておかしい。
第一龍馬のやってきたことは、絵になることばかりだし、この数々の武勇伝を作り上げた人物が記憶されないことなどあり得るのだろうか。

 

うーん、これ一つとっても龍馬はやはり謎の人物ですね。

幕末の英雄を記した志士列伝にも龍馬の名前は一切出てこないのです。
ある程度の功績を残した中心的人物であったのであれば、ここまでまったく無視されてしまうことなどあり得ない話、激動の時代であったといっても、他の志士達を見てもそこまでではないので、わざと無視されたのかという疑いも出てくるのです。

 

えっ、わざと無視された?ということは悪い人だったってことですか?

龍馬とは、表に出してはいけない、かなりのアウトローの人物だったのかも知れないということです。そうした噂と推測は以前からあって、龍馬は武器を売り込むだけの死の商人だの、グラバーの手先などの噂です。
確かに龍馬の存在は武器の商売で一目を置かれたところがあるのです。そうしたことで、こいつを志士として認めるわけにはいかないという意見もあったのかも知れない。

 

変な話ですけど、龍馬は忘れられちゃった存在ですよね、それがなんで有名になれたのですか。

それはねえ、龍馬と同じ土佐出身の作家が龍馬を主人公とした小説を書き上げて、その小説が大ベストセラーとなり、一躍、坂本龍馬は英雄として祭り上げられたからなのです。
詳しく言うと、明治16年に坂崎紫瀾という土佐の思想家が龍馬を主人公に「汗血千里駒」というタイトルで小説を発表したことで、龍馬ブームに火がついたということなんだ。
それまでは、龍馬の存在を知る人は殆どいなかったのです。

 

なるほど、この方が龍馬伝説を作り上げたということだったのですね。

そうなんだ、司馬遼太郎の「竜馬が良く」も、この原作を基にして新たな脚色を加えて作り上げたモノなので、龍馬神話の土台はここにあると言っても過言ではないのです。
ある意味、ここで坂崎が無名の坂本龍馬をクローズアップさせていなかったら、司馬の「竜馬がいく」もまぼろしであり、龍馬は永久に埋もれたままであった可能性があるのです。

 

この坂崎という作家は龍馬のことをよく知っていたのですか?なぜ、龍馬をとりあげたのでしょうか。

坂崎は龍馬に会ったことも無いし、存在も知らなかった筈です。
彼が龍馬を英雄に仕立てたのは、土佐のメンツからです。当時の明治政府での土佐の発言力は低下の一途だったのです。何とか薩長閥に泡を吹かせたいために作り上げたのが、坂本龍馬というスーパースターだったのです。
この明治のベストセラーがきっかけで、坂本龍馬は一躍「時の人」となり、それ以降、龍馬と親しかった。すごい奴だった。などという調子のいい人達が次々と現れたのでした。


汗血千里駒」のシナリオは完璧
坂崎が龍馬を選んだ経緯を想定してみると、ここでの龍馬の話は、彼一人で成し遂げたものではないし、龍馬がいなければ成立出来ない話でもないのです。それは薩長同盟にしても然り、その辺に目を付け、これらの重要な史実に龍馬を巧みに当て嵌めて龍馬英雄像を作り上げたのが「汗血千里駒」というわけです。

何故、龍馬だったのか
重要な史実に主人公を当て嵌めた場合、すでにこの世にいない地味で身分の低い脱藩浪士である龍馬の存在は最高のヒロインだったのです。

とにかく、幕末での出来事は法も秩序も無い混乱の真っ只中なのです。これこそが作り手に取っては好都合で、いくらでもドサクサに紛れ込む話が出来るというわけです。

この「汗血千里駒」の大当たりで、突然のスーパーヒーローの出現に、あちこちで龍馬を知るという人物が現れ、彼の功績を称える声が続出したわけです。

しかしながら「龍馬は凄い人」と多くの人物が証言しているというが、それは皆、後付の話なのです。これには、あのほら吹き勝の異名をとる勝麟太郎までもが参戦しているのです。

龍馬を世に生み出した坂崎紫瀾とは
龍馬生みの親の坂崎という人物ですが、作家以外に多くの肩書を持ち、自ら大衆芸能を演じる講談師で馬鹿林鈍翁というおかしな名前を名乗たりと、当時にしてみれば異色中の存在で、その素性もかなり怪しく完全な変人奇人なのです。

また、姉乙女、お龍、千葉佐那など、個性的で強い女性を登場させているのは、坂崎の特有思想の女権拡張というテーマをアピールしたものとも言われています。

そして、過激な演説や漫談が問題視され、演説中止を申し渡されてもいる反逆児なのです。

坂崎と言う人物は、薩長閥の政府に対して激しい憤りを感じており、その反抗心から龍馬を登場させて土佐の役割を強調したとみるのが正解のようです。

「汗血千里の駒」の土台
実は、坂崎紫瀾は、「汗血千里の駒」の3年前に「南の海血汐の曙」という土佐勤王党を主題とした小説を書いていて、ここで坂本龍馬という名前を初めて登場させているのです。

龍馬ヒロインの構想は、この取材がきっかけで出来上がったと推測されます。

昭憲皇太后の逸話
その後、日露戦争の開戦直前に昭憲皇太后の夢枕に龍馬が現れ、忠義の心をお伝えしたという逸話が『時事新報』の記事となり龍馬が再びブームとなり、龍馬はとうとう日本国家の軍神として祭り上げられることとなったというわけです。

これは、当時、田中光顕という土佐出身の宮内大臣が国威発揚に利用するために流した作り話なのです。
この逸話によって、龍馬伝説が再ブームとなり、日本の理想の男子、英雄として描かれるようになったのです。

まとめ
龍馬は何故、大衆の心をつかめたのか、それは薩長中心の専制への抵抗と維新の閉塞感から芽生えたノスタルジーからくるものです。

特に江戸を中心とする都会では意味不明の田舎言葉をしゃべる連中に世を席巻されてしまったことは屈辱の極みだった筈です。

龍馬の登場は願ってもない待望の存在として瞬く間にヒーローに祭り上げられたのでした。

まあ、とにかく、龍馬の話となると、徹底心酔者と存在すらも否定する人などが混じり、極端な論争に発展してしまうのです。

それはあまりにスケールが大きい謎の連続だからです。

そもそも歴史とは検証不可能なものです、歴史の定説を覆すことは、パンドラの箱を開け、細部にわたって紐解くパズルの世界に踏み込まなければ証明は不可能なのです。

ただ、幕末と言えばそれほど大昔の話でもないわけで、検証はもっと容易かったことも事実でしょう。

しかし、こと龍馬の話となると、死後の後付けの話ばかりとなることと、最初に作家先生が作り上げた話を基にして更に別の作家先生が脚色を加えて作り上げるので嘘が嘘を呼び謎が謎を呼ぶという結果に繋がって行ったので検証を難義にさせてきたのです。

もうそろそろ、龍馬の真実を洗濯せなアカンのです。

ここは、単純に結論を出すしかない。

全ての疑問は、龍馬はその重要現場に本当にいたのか、いなかったのかである。

検証。二割の現場には居合わせたが、中心的な役割は殆ど担っていなかった。

これがもっとも適切な推測かも知れない。

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