「英雄伝説を斬る」虚像のヒーロー宮本武蔵に迫る。

歴史人物 本物と虚像

令和のサムライ通信:「英雄伝説を斬る」宮本武蔵の巻

今日は土曜日なので、少しリラックスして歴史の話とさせて頂きます。

今回は、前回の龍馬に続いて、剣を極めて日本人の武士道の鏡、精神の支柱となりながらも謎に包まれた宮本武蔵の実像に迫ります。

 

吉川英治の創作「宮本武蔵」によって、武蔵が伝説のヒーローとなったことは誰もが知るところです。

無敗の剣豪、武蔵とは本当に強かったのか、少し真面目に検証してみましょう。

 

先ずは、吉川英治のベストセラー小説「宮本武蔵」が世に出る生い立ちをざっと紹介します。

吉川英治は「宮本武蔵」のベースは、「二天記」をもとに創作したことを明らかにしています。

「二天記」とは
「二天記」は、武蔵の死後、百年以上経ってから世に出されたもので、この中で史実を探すとなると武蔵や小次郎、吉岡一門の存在が確認できる程度で、武蔵が対戦した有名な剣豪達とは生きている時代や全盛期の年齢が合わないなど、様々な点で史実とかけ離れた、かなりいい加減な内容の書物なのです。

このように、そもそもの土台が支離滅裂な内容なので、ストーリーは完全な吉川独自の創作となるようです。

したがって、「宮本武蔵」の内容は完全なフィクションであり、史実は一割にも満たないこととなるのです。

「五輪書」とは
もう一つ、武蔵を語るには「五輪書」という武蔵が直接著した??兵法書があるのです。

この『五輪書』によると、武蔵の初めての決闘は13歳から始まり、以降29歳まで60回以上の決闘をこなし、すべてに勝利を収めたと記述されているのです。
しかし、不可解なのは、この「五輪書」には、肝心の佐々木小次郎も吉岡一門との死闘の話は出てこないのです。

まあ、この『五輪書』なるものも「二天記」と同じくらい眉唾物ということです。

吉川先生の「宮本武蔵」以前に、武蔵の武勇伝は江戸時代から、かなりの脚色が加えられ歌舞伎や講談の題材となっていたようです。

武蔵というと、特に有名で敬意を浴びるのが、「巌流島の戦い」「吉岡一門との抗争で一人で数百人を斬り殺した」「60回の決闘で無敗を誇る」という超人伝説です。

吉岡一門との対決は「チャンバラ」のルーツ
先ずは、吉岡一門との1対数百人との死闘を真面目に検証してみましょう。

武蔵の武勇伝に武装した数百人の武人を相手にたった一人で勝利するというのがあります。

まあ、こんな馬鹿げた話などあり得ませんが、例えば相手が10人だったら時代劇のように戦えるか検証してみましょう。

そう、これこそ我々が娯楽として見てきた時代劇での「チャンバラ」の起源、ルーツだからです。

チャンバラ劇のように、刀と刀をおもいっきりぶつけ合ったら、即刃こぼれするだろうし、刀は簡単に折れてしまうのです。なので、緊張状態で、いきなり懐に飛び込んでの斬り合いなどあり得ないのです。

それでは、刀で武装した相手が3人以上だとどうか、1対3,1対5で戦ったら、

一人と対じしている間に左右から首や顔面を突かれて即戦闘不能になるか串刺し状態になることでしょう。

じゃあ2対1だったら、合戦や突発的な喧嘩ではありうる話、互いが真剣を持っての2対1の戦いは、相手に斬り込ませないために気が狂ったように無我夢中で刀を左右上下に振り回し、発狂状態で威嚇するだけの見苦しいものとなるようです。

何より、長く鋭い刀を振り回すことは、自分の身の危険も伴うのです。振り回した刀の勢いが止まらず自分の体に降りかかってくることもあるからです。

刀で相手に致命傷を与えるには、できるだけ深く斬り込み、肉にくい込ませたうえで一気に手前に引くことが原則です。

しかし、これがチャンバラ時代劇と違ってとても難しいのです。

相手が静止状態だったら急所を突くことは可能でしょうが、緊迫した実戦でそんなことはあり得ません。

何より、一人に致命傷を与えるほどの斬り込みを行ったら一瞬無防御のスキだらけの状態になるので、その間にもう一人に斬り込まれたら同じくらいの致命傷を受けることになります。

ということで、2対1でも、相手がビビって戦意喪失してくれない限りは100%勝つことは不可能なのです。

吉岡一門との死闘?があったとすれば、それは死闘という戦闘状態ではなく、武蔵はひたすら逃げて逃げて相手をかわしたということなのでしょう。

また、数百人の追手ではなく、5人程度のやる気のない農民兼務の武士が石を投げつけて武蔵を追い払ってくれたのです。

因みに戦国時代の戦での戦いぶりは、弓や鉄砲での撃ち合い、石の投げ合い、接近状態で槍での突き合い、叩き合いで、とても斬り合いと呼べるものではなかったのです。

合戦での戦死は、殆どが逃げ遅れて集団からメッタ刺しにされることが定番、

ということで、戦闘状態で刀はあまり役に立たず、槍で突かれたひん死の敵にとどめを刺すための道具であったようです。

「60余回の勝負を行い、すべてに勝利した」を検証
武蔵がいう生涯60戦無敗というと、約16年間にわたり3か月で1回のペースで死闘を繰り広げたことになります。

先ずは真剣で殺し合うまでの死闘を繰り広げた場合

真剣同士の決闘となると、勝った方も無傷ではいられないのです。何故なら、決闘では一撃必殺はあり得ないからです。

刀の斬り合いは、よほどのことが無い限り一撃で相手を即死させるまでに至らないので、勝った側も五体満足でいられることはないのです。

よくボクシングで、両者同時にパンチを繰り出し、間一髪でカウンターとなり、相手より早く必殺パンチが顔面にヒットしてKO勝なんてシーンがありますよね。

この場合、先に相手にヒットした衝撃で、後れをとった相手のパンチは空をきったり、顔面に飛んできても急所から外れるものです。

ところが真剣同士では、急所は外せたとしても刀の刃が確実に顔面や体のどこかに振り下ろされるのです。

それは、刀の長さと重さによる遠心力にあります。運よく先に致命傷を与えることが出来ても、一瞬遅れで相手の鋭い刃先が突き刺さってくるのです。

チャンバラだと素早い手返しで刀で相手の刀を払っていますが、相手にくい込ませた刀で手返しすることは不可能なのです。ましてはほぼ同時に振り下ろしたらかわすことは出来ません。

また、ルールのある格闘技を想像すればわかると思いますが、人間が本気で格闘したら、持続時間は10分が限度です。

荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘でよく6時間もの決闘とかいうのがありますが、そんなの嘘です。

殺し合いの決闘となれば、睨み合うだけでもアドレナリンが分泌尽くされ5分もすれば立っているのがやっとでしょう。

もし、武蔵が本当に60の決闘をしたのなら、その中で真剣同士の本格的決闘は3回が限度となります。

また、刃物同士の喧嘩や合戦によって怪我をした場合、この時代の医療技術では、仮に勝ったとしても傷口から化膿したり、細菌が入ったりで、死に至るケースが多かったといわれています。

やるかやられるかの真剣同士の勝負となれば人間は極限状態に置かれるはずです。

運よく、先制して相手の頭部を斬り裂いても、頭を切られて顔面血だらけの相手が物凄い形相で必死に抵抗してきたらどうだろうか、こうなると一転恐怖を感じるのは脳天を斬った側なのです。

素手の戦いであれば、最初にダメージを与えた方が有利となるのは当たり前だが、真剣同士の戦いでは斬られても向かってくる相手は恐怖の塊となってしまうのです。

こうなると心理的に肺の細気管支が拡張し、血圧と心拍が急上昇して、たった10秒の間合でも果てしなく長く感じてしまうのです。

江戸時代の決闘の実態を研究した、ある歴史家によると、真剣勝負の場合、罵声を浴びせながら一時間以上も睨み合いが続き、双方硬直状態となって、たまりかねた立会人が引き分けを宣告して幕切れとなるケースが殆どであると解説しています。

江戸時代の260年間は、今以上に平和な時代が続いたので、刀は武士の象徴だけであって、実際に刀を抜くことなどほとんどなかったのです。ましては刀を抜いて人を斬った経験を持つ侍などは非常に少なかったのです。

巌流島の決闘を検証する
先ず、二人とも高身長だったという話。

武蔵182センチ、小次郎188センチ、そんなわけないだろう、武蔵158センチ、小次郎162センチじゃないのか。

当時の平均身長は155センチ程度、182センチだと、今でいえば195センチくらいの長身ということになる。

当時の食生活から考えてもそれはあり得ない、巨人症の人間は存在しただろうが、規格外だと極端に動きも鈍くなるので、剣豪としては最も相応しくない。

日本人はとかく欧米人に対してコンプレックスを持っているので、身の丈を誇張する傾向にある。特例は牛若丸だけで、英雄がチビでは不味いのだ。

両者の年齢。武蔵と小次郎では40歳の年齢差があったと推測されています。

武蔵29歳、小次郎69歳、

69歳って完全な隠居状態ですよね、当時の寿命は50歳ですから、30半ばで家督を譲る時代なのです。小次郎今でいえば、90から100歳かも、そんなヨボヨボ爺さんが決闘なんかするものか。

武蔵、最大級のハイライトである巌流島、本当に決闘したのか。

まあ、巌流島の決闘があったとして、ここでも諸説あって、実は一対一ではなかった。

武蔵が大勢の弟子を引き連れて、弟子たちが不意を衝いて小次郎をボコボコにした説。

取り敢えず武蔵が小次郎をねじ伏せたが、これを見て武蔵の部下が小次郎を取り囲って息の根を止めた説。

ただでさえ戦闘不能なヨボヨボ爺さんなのに、不意を衝いたり、寄ってたかってというあり得ない卑怯なマネ、これも勝つことに拘った武蔵特有の何でもありの戦法なのかもしれない。

まあ、ざっと書きましたが、これが武蔵先生の伝説なのでした。

架空の人物であれば超人もアリだが、実在したとなれば少しは正しい方向に向けるのが世の筋、しばらく英雄として武蔵先生もいい思いもしたのだから、そろそろ真人間になって頂きましょうか。

そこまで言うなら、その根拠と証拠を示せ!なんて掟破りなことは言うなよな、それこそ、歴史を冒涜する卑怯な言い掛かりだぞ!!

う~ん、なんか、気の毒な感じの武蔵先生でした。

タイトルとURLをコピーしました