お笑い系のテレビの独占は過去の実力漫才師達の努力のおかげ

芸能・スポーツ・お笑い

どのチャンネルを回しても、今やお笑い芸人中心のバラエティー番組ばかり、今のお笑いブームの定着を築いたのは、「漫才ブーム」時代のお笑い漫才師達の下積みの苦労があったからです。今回は、今のお笑いブームを不動にしたきっかけを作ったルーツである、第一次漫才ブームについて触れてみます。



第一次漫才ブームはお笑い漫才師達がテレビでの市民権を得た黎明期だったと言えます。同時に、関西弁に違和感を感じなくなったのも、このブームがきっかけとなり、当たり前のようにテレビに浸透していったのです。

それまでは、関西弁は早口過ぎて、あまりテレビでは受け入れられなかったのです。
それがさんまや紳助の登場で、いつの間にか漫才は関西弁が主流となり、関西弁こそが漫才というほどに受け入れられたのでした。

今のお笑い芸人が重宝されるのは、こうした、先輩芸人達が作り上げた苦労があってのこと、この当時の彼らの苦労を知ることで、今のブームが見えてくる。

当時の漫才ブームの少し前までは、テレビと言うとアイドル全盛の歌番組やドラマが中心で、お笑い系では、コント55号とコロナで亡くなられた志村けんさんのドリフターズだけが特別な存在だったのです。

その後、55号とドリフが、とうとうネタ切れしたことで、ここからお笑いブームを巻き起こしたのが、ぼんち、ツービト、B&B、さんま、紳助竜介などの漫才師なのです。


当時のお笑いブームも凄かったと聞きます。志村さんのドリフもさんまさんなんかも生放送で演じていたのですよね。

漫才ブームとは言っても、55号やドリフもそうですが、漫才師の仕事ぶりは、今と違って、バラエティー番組でちょこっと口を挟む程度で稼ぐなんてことは出来なくて、正真証明のコントや漫才ネタで食っていく以外になかったのです。なので、彼らは相当な実力者揃いだったわけです。
とにかくコントや漫才と言うと、同じネタを何度も、というわけにはいかないので、連日放送法すれすれみたいな危ない感じだった。

当時のネタは過激さが中心だったと聞きます。

ドリフや55号がお上品に感じるくらい、特にお笑い漫才師は毒舌ありきで、世の中を曲がって風刺したり、他人の不幸などが格好の漫才ネタとなるのがお笑いの主体だった。
さらに、当時の年寄にはついていけないほどのブラックジョークの連発でスピード感も凄かった。
ということで、過激ネタ専門に走って受けた人もいる反面、干される人も後を絶たない。
そうまで過激にしないと視聴者や周りが満足しない風習があった時代だったのです。
だから「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんて言葉が流行ったのです。

 


昔は芸人と言うと苦労人のイメージが強かった
結局、彼らに求めるものは優等生的な笑いではなく、鋭く世の中を風刺するテンポの速い笑いだったので、関西弁の下品さも受けたのです。そもそも漫才師に品を求めるなんてまだまだ論外な時代だったというわけです。

とは言っても、今のお笑い系みたいな非常識な軽さはなかった。確かに彼らは下品だったが、ネタに対するこだわりとプロ根性は比較にならないくらいレベルが高かったし、また、自分達の置かれている立場を理解しているので、日常においても踏み外した行為は慎んでいたのです。

しかし、売れたといっても彼らの殆どは、漫才以外では殆どお呼びがかからなかった。
今のように、バラエティー番組の司会からすべてを取り仕切るなんてことは夢の夢だったのです。
ところがやっと「オレたちひょうきん族」などの冠番組を持つことができ、同時にバラエティー番組でもお笑い系の席が確保されることとなったのです。
これには、当時、笑いに特化したフジテレビの功績と吉本興業の努力が大きいのです。

 

やっとお笑い系の方達の努力と苦労が実を結んだのですね、ここから快進撃が続いたということですか。

いや、それには程遠いものでした。と言うのは、今でこそ、お笑い系が雛壇を独占していて、お笑い系中心に番組の編成を組んでいますが、当時のバラエティー番組やクイズ番組などはアイドルやタレント中心で構成されているので、漫才師の枠は末席に一つか二つ用意されているだけ、しかも、レギュラーを取るなんてことは殆どなく、芸人同士がその席の奪い合い状態となっていたのです。

勿論、若手芸人が台頭したら、その席は奪われてしまうのです。
さらに、彼らに求められるのは、周りと違った、一瞬で笑いを取るウケ狙いのみなのです。
奇抜なトークで、一瞬で笑いを取るという、場を盛り上げることが鉄則なので、これをやるのはかなりのハードさなのです。
ここでウケが利かないと次に使ってもらえない。そうなると勢い余って脱線する人も出てきてしまうわけです。
紙一重の発言で完全に干される危険を伴いながら、少ない席の取り合いは文字通りサバイバルな世界だったことでしょう。

売れても末端のままだったお笑い系
それは、たけしの言動でもよくわかる。「俺達は猿回しのサルで末端階級で散々差別されてきた」、当時のお笑い芸人の序列は脇役どころか、ただの添え物で、いてもいなくてもいいんだよお前らは、という存在だった。

そうした中で、スレスレを旨く立ち回っていたのが、たけしであり、サンマであり、紳助なのです。彼らは一歩手前で踏みとどまるコツ、批判をかわすコツを理解していた。
しかし、そんなたけしや紳助でも、叩かれることはしょっちゅうでした。

まあ、漫才師から毒舌が完全に消えてしまったら、それこそ何の魅力も無くなるのは当然ですし、視聴者も放送コードスレスレを楽しんでいたのです。

ということで、当時のお笑い芸人は、売れたとしてもごく限られた場所での活躍しか保証されていなかった。なので、入れ替えも激しい使い捨ての立ち位置でもあったのです。


まとめ
この先輩芸人達の苦労と努力の結晶が今のお笑い系の地位を築き上げた土台であったことは間違いないことです。

彼らの中からは、多くのスターも輩出され億万長者も生まれたのです。
このブームのお陰で、お笑いを志す若者は爆発的に増え、自分もお笑いで有名になりたい、お金を稼ぎたい、というお笑い志望者が殺到したのです。

そこからダウンタウンやとんねるず、ウッチャンナンチャンなどの第二期を担う実力者が輩出され、バラエティー番組の存在を今のスタイルに進化させていったのです。

こうして、今やお笑い系がテレビの中心的存在になるまでになったということです。
この時代の先輩芸人達の苦労が無かったら、今のお笑い芸人達の優遇された地位は絶対にあり得ない。

素人が見ても、今のお笑い連中は、本当に恵まれているなと感じるのです。

最後まで読んで頂き有難うございます。
関連の記事も見てね

タイトルとURLをコピーしました