ダジャレだけは言わせてあげよう

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海ヒト人:今の世の中、オヤジがまったく理解できないカタカナ言葉が氾濫している、これに対抗できるのはオヤジギャグしかない⁉

ダジャレだけは言わせてあげよう
オヤジギャグは、オヤジのよりどころ、森元総理や河村市長などの脱線オヤジの場合、ダジャレがサービスの一環という精神が体に染みついているので、自然の流れのごとく受け狙いの根性が動き出すのです。なので、言われて初めて気が付くオヤジ達。ということで、ジェンダー様には、これからも愛のご教示をくれぐれもお願いしたいものです。

 

昨日一昨日と固い話が続いたので、今日はチョットくだけます。

何故、オヤジはつまらないオヤジギャグをかますのかという疑問にお答えする。

それは我々の年代には、余興の精神からダジャレの文化が根付いているからです。

それは場を和ませる気転の一つと解釈していること、更にはそれを喜んでくれるものと勝手に勘違いしているからなのです。

 

河村市長然り、ダジャレの文化継承は体に染みついているので受け狙いの根性がうずき出すのです。

 

 

なので、ジェンダー気質が高まりを見せる中でも、未だに言われないと判らないところがあって、次々とお手本的に失態をやらかし、ケチョケチョやり玉に挙げられるという始末なのです。

 

まあこうして、世のオヤジどもは随分とジェンダー様には実戦で学ばせて頂いているわけです。

 

考えてみれば昔のオジサン達は随分とやりたい放題で調子に乗っていたわよね、本当に許せない!!

だよね、確かにひどかったなあ!けど、今のオヤジは調子に乗っちゃあいけない時代となっちゃった。

なんかつまんねえなぁー。

 

残念ながらオヤジギャグのかましはまるで受けないし引かれちゃう、ネタが古典的でカビだらけなのでキレもないはで、下手すると脱線状態となって、セクハラ、パワハラに発展するばかりなので危険信号なのです。

 

昔を懐かしむオヤジ

今でこそダジャレはオヤジギャグとされてヒンシュクの対象となっていますが、昔は、ダジャレをいう人は場を盛り上げる明るい人、固い場をほぐすための柔軟剤とされ、愛されキャラだったのです。

 

それこそ勉強が出来なくともダジャレの回転が速いと人気があったりなので、女性の気を引くために常にダジャレを頭にインプットしている奴も多くいたのです。

 

中には、真面目な話でも冗談で返す奴がクラスで3,4人はいたし、そういう奴は生活そのものがジョークづくしなのです。

 

ということで、ギャグをかますのが習わしみたいになっている軽い業界もあったりしたのです。

テレビ屋なんかもそんな類だった、ただしこいつらのジョークの半分以上は嫌味なので不快極まりないのです。

 

応酬話法の中には、営業トークのところどころに軽いジョークを挟んで和みをいれるという手法も取り入れていたのです。ただ脱線するとヒンシュクをかうことにもなる。

自民党のオッサンたちが、サービス精神のあまり、ぶらさがり会見などで迂闊に口を滑らせちゃうのは、この癖が抜けないからです。

ダジャレのルーツ

そもそもダジャレの起源は、言葉を掛け合わせる「洒落」という遊びからくるもので、そこに「駄」を冠したことで「ダジャレ」になったとされる言葉での遊びのゲームなのです。

ということで、オヤジ達は勘違いどころか「くだらなさが明るさを生む幸せの循環作用」などと、ダジャレこそはユーモアでありコミュニケーションの一つと本気で思っていたのでした。


まあ、河村市長の場合は何事にも田舎っぺ丸出しの受け狙いをするので周りもひやひやしていたことでしょう。

まあ、今回の一件で得意技の古典的オヤジギャグが封印されることはとても残念の限りです。

河村市長の場合は、ストレートなもろバカジョーク、森ジイサンと張さんのはひねくれ嫌味ジョークという分類です。

そもそも、古典的なジョークを飛ばすオヤジ達が若者のカタカナ言葉なんかについて行ける筈もないのです。

ならば、もうしばらくの辛抱です、少しくらいは大目に見てあげましょうよ。

 

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