スポコンどもが現役アスリートを蝕んでいる

芸能・スポーツ・カルチャー

海ヒト人:勝手に元アスリートを自称するポンコツスポコン野郎どもの脱線が止まらない

スポコンどもが現役アスリートを蝕んでいる
今の現役のスポーツ選手はアスリートの名に相応しい方達です。しかし、昔のスポーツ選手はアスリートと呼べる方はごく一部だけ、ところが、いつの間にやら恥ずかしげもなく自分達をアスリートなどと呼び合っているさまは滑稽です。人は名前を変えただけでは容易に進歩を遂げることは出来ない。幼稚なスポコンの正体はバレバレです。

 

今日もチョット脱線します。

オリンピックを無理やり開催したことで、コロナへの対策が疎かとなりここまでの犠牲を伴ったことは間違いない。

こんな状況の中でオリンピックだけが最優先されたことを受け、オリンピック関係者やスポーツ団体は勿論のこと、アスリートを自称する方々などは、本来は負担を強いた国民に対して感謝の念を持つのが普通なのです。

しかし、プライドのお高いエセアスリート様には通じないようです。

SNSなどによる一部選手への批判に噛みつくアスリート関係者の方々達。

確かに過度な誹謗中傷は良くないが、後の半分は称賛の話な筈、それを誹謗中傷だけを捉えて世論を自粛させようとするのも傲慢の限りです。

そもそも、アスリートってそんなことをいちいち気にするほどメンタルが弱いのでしょうか。

 

更に酷いのは、今や特権階級となったアスリート様に媚びをうるお笑いやワイドショーのコメンテーター達。

 

金メダル噛みつきでは、冒涜だのと話があらん限りに脱線、飛躍して行くさま。

確かにあれは汚らしいし不快だが、しかし、ここまで叩かれればさすがの彼も意気消沈状態で大反省らしいので、もう充分なのではないか。

しかしながら、元アスリート?様達がおっしゃる、メダルは特別なものというのは判るが神聖なものとまで言い切ると獲った本人が噛むパフォーマンスも許されなくなってくる。

そこまで神がかり的な話となっては、恐れ多くて我々下々のものからするとお目にするのも憚れることとなってしまう。

それじゃあオリンピックも気安く見れないし、自由平等のオリンピック精神の真髄まで話が及んでしまう。

 

高貴なお方のお達しは止まらない、挙句の果ては「表敬訪問はお前らの方からこい」だとさ、

オイオイいい加減にしろよ!それじゃあ何様のつもりだ、も飛び越えちゃっているぞ!!

そこまで言っちゃ不味い話だ。

応援してくれた地元への挨拶は各自治体が中心となって組織してくれるので常識の話だろうが、そんなもの言いじゃあ地元での凱旋パレードなども出来なくなるよ。

まあ、少し安心するのは、これを言っているのは現役のアスリートの方達では無く、エセ元アスリートすなわちスポコンがわめいているのです。

勝ちゃあ、殿様、官軍かい。そんなんじゃ誰も応援もしたくなくなってくる。

 

最初にお話したように、今回の開催は、国民の命と生活が犠牲にされてまでもオリンピックが優先されたことを重く受け止めねばならない。

こうした状況下ではアスリートを自称するならば自分達にプライオリティを置くような発言は控えるべきなのです。

しかし、スポコンにはそんな空気は読めないのです。

 

アスリートだってぇー⁈⁈

 

昔はスポーツ系の連中は体育会系と呼ばれてダサイ連中のシンボルだったのです。

いわゆる、スポーツ根性連中、通称“スポコン”です。

 

“スポコンくん”いかにもというくらい惨めったらしい響きの名前です。

 

それがいつの間にやら、下に下に!アスリート様のお通りだ!!になっちゃった。

 

 

スポコンから“アスリート様”名前改名で大変身!!

 

今では「私たちアスリートは……」なんて堂々と主張できるようになった。

 

スポコンからアスリートへ変身、一体どうしたっていうんだい、この変わりようは??

 

その答えを簡単に言おう

スポーツ界はビジネスとのコラボによって大きく進化を遂げたのです。

日本のプロスポーツは長らく野球が定番でしたが、そもそもスポーツには様々なジャンルが存在して、その裾野は広くそこには独自のビジネスマーケットが存在しているのです。

そこに風穴を開けたのがサッカーの存在です。

サッカーの参入によって他のアマチュアスポーツにも雪崩現象が起きたのです。

 

そこからは、スポーツによる肉体改造が流行りだしたり、スポーツと健康志向などがコラボしたことで、更にビジネスの幅は広がって行ったのです。

企業は肉体改造を施したスポーツ選手を起用してプロテインや栄養ドリンク、化粧品などを売り込むことで、スポーツのイメージをも大転換させたのです。

更にはスポーツと科学を連携させたり、AIまでもが導入され、アスリート神話を強固なものに仕上げて行ったわけです。

 

アスリート神話が定着出来たのは女性のお陰

日本の場合は、何といっても女性の活躍が大きい。

マラソン、柔道、レスリング、サッカーなど、男が中心と思われていたスポーツジャンルでの女性の活躍は大きかった。

女性の活躍は歴史をかえ時代を際立たせるのです。

こうした女性の活躍に男連も便乗してアスリート名が定着して行ったのです。

 

アスリート?がやたらに言うメダルは神聖で高尚、気高いものという強いお達しだが、そんなことを言われる前に、メダルは誰もが快挙のシンボルと思っているし、羨望の的です。

メダルを軽いものだなんて思うわけはない。それは迂闊に噛んでしまった河村市長も同じことだろう。

けど、毎度、毎度ここまで言われるといい加減嫌らしさを感じてきてうんざり辟易なのです。

第一、ここまでメダルが神聖だのと言ってしまうと、格闘技などに転身して恥さらしをした連中はどうなのかという話にもなってくる。

ただこれを言っているのは先にも触れた通り、現役の方たちでは無く、過去のスポコン連中なのです。

これではアスリートってまったく冗談も通用しないプライドが高いだけの人達の集団なのかと勘違いされかねない。

 

あまり自分達のひけらかしや主張を言い過ぎると興醒めするもの、そんなんじゃ応援もしたくなくなるし、人が獲ったメダルなんて興味ないよ、なんてシラケタ風習につながってしまう。

 

今のスポーツ選手はアスリートの名に相応しいと誰もが思うもの、だが、過去のスポコン連中はもうお呼びでないし、マスコミは余計なことを言わせないでほしいものです。

 

ポチポチ よろしくお願いします。   
タイトルとURLをコピーしました