コロナに負けずこの冬を乗り切ろう

政治・社会不信・防衛

令和のサムライ通信:コロナ対策の巻

今回のコロナによって気づかされたのは、未知のウイルスへの対抗策には、いかなるハイテク国家であろうと太刀打ちできないということです。

この暮れにきて、とうとう予想外の最悪な事態が訪れてしまったようです。

夏以降の状況では、徐々に終息に向かうのではないかと楽観視されたコロナウイルスですが、やはり冬季の予測を甘く見てしまったのです。
何より怖いのは、日本の本格的な冬はこれからで、真冬は後3か月も続くのです。

コロナの感染者数は、各地で過去最高を記録しており、死亡者と重傷者の数も不気味なくらいにじわりじわりと増え続けているのです。
こうしたコロナ患者の急増によって、医療現場のストレスは最高潮に達しているようです。

ウイルスは人類にとって最も厄介な見えない敵。コロナの猛威は我々に与えられた試練と考えるべきなのか。
しかしながら、今行われているウイルスへの対応策は、医療を除けば、恥ずかしながら江戸時代でも出来るものなのです。

確かにそうですね、「マスクをしろ」「外出するな家にいろ」と「人との距離をあけろ」ですものね、まさか、これほど長期化するとは思ってもみませんでしたし、映画の世界みたいなことが本当におこるとは誰も想像もしていませんでした。

人類は、ウイルスへの対応を怠ってきたのです。そのしっぺ返しがきたのかも知れません。
我々は、未知のウイルスの侵攻はフイクションの世界と捉えていた、しかし、それは空想の世界ではなく現実に存在したのです。これは、現在に生きる全人類への警鐘でもあるのです。
しかしながら、問題は中国です。武漢での初期の対策がもう少し徹底していれば、ここまで被害が拡大することは防げたのではないかとも思われるのです。

 

確かに、最初の時点でもっと情報を開示して対処していればここまで世界に広まることは防げたのかもしれないし、世界に広がったことを高見の見物みたいな態度で見ているようで、本当に感じ悪いですよね。

まったくだ。しかしながら、改めて中国と言う国の道徳感の無さには呆れ返るしかない、そもそもコロナウイルスの起源は中国武漢が発祥であり、そこから全世界にまき散らせたものです。
ところが中国政府は、我々はコロナを撃退した世界で唯一の国と自慢げに喧伝する始末なのです。
彼らには良心の呵責や罪悪感というものは存在しないのです。中国と言う国は常識が通用しない恐ろしい国であることが世界に知れ渡ったことだけはいいことだ。

 

しかし、国民はコロナウイルスの脅威によって不便な生活や自粛を余儀なくされている中でも、野党やマスコミは相変わらず、ここぞとばかりに政府批判を繰り広げていますよね。

そう彼らは、こんな時期なのにコロナに絡めて露骨に政府批判ばかりだ。安部前首相のコロナ対策での手ぬるさを散々叩き続けてきたし、それは菅首相になっても一向に変わらない。
確かに政府の対応は後手後手感を感じるし、小池都知事との連携の悪さも感じざるを得ない。しかし、コロナを終焉させた指導者など世界中どこを見ても存在しないのです。

 

こんな時期なのに批判ばかりでは、どうしていいのやら国民は益々落ち込みますよね。

国民が不安と恐怖に苛まれているにもかかわらず野党は批判ばかりで対案も示さない。こいつら何のために存在しているのかと言いたい。
実は、海外からは、日本の対策は素晴らしいと称賛する報道もあるのです。
これだけの死者数に抑えている日本は奇跡であるとし、その日本の対応に学べという報道もあるのに、そうした日本を称賛する報道は黙殺されるのです。

確かに政府も無能だが、日本の全国民が苦難の試練を迎える中でもケチつけばかりでは災難に追い打ちをかけているとしか思えない。

原因究明は中国の情報開示から
とにかく今からでも遅くない、発祥地である中国の情報開示こそが必要で、世界規模での一体化した調査・原因究明が望まれるのです。
しかしながら残念なことに、コロナで露呈したのは国際間の協調の無さとまやかしです。WHOは一方に偏って機能不全だし、アメリカやEUヨーロッパの先進国の対応も自国だけで精一杯だからです。

 

中国は人ごとみたいで腹だたしいですよね。それと、WHOは国連の機関として、リーダーシップを取れる、もっとしっかりした組織だと思っていましたので驚きでした。

まあ本来、中国は真っ先に国際調査団を招き入れて原因究明にあたるのが筋なんだけどね。

それとWHOだけどね、各国も助言はもういらないと憤っています。
必要もないし、聞いたところでかえって混乱を呼び余計な憶測を呼ぶだけと、組織の存在をも否定されているのです。
中国とWHOの責任逃れも酷いが、各国はどうすることも出来ないジレンマと絶望感に浸っている。


生活スタイルの変革

これからも何事にも自粛、自粛と規制の生活になることは間違いないようです。
元の自由気ままな生活に戻すのは当面の間は難しい、下手すると元に戻れない人達も出てくるかも知れません。
そうなると、学校も仕事もオンライン化が進んで行くこととなり、生活様式も今迄とは違うスタイルに変えなければならないことになるのです。

オリンピック気分は無くなりつつある
今の時点で開催国がこの状態では、オリンピックの開催もまたもや暗雲が立ち込めてきたというしかない。かりに日本が改善されたとしても、各国の情勢を見ると非常に不透明感が拭えません。

1年延期を判断した段階では、今年の春先にはコロナも終息に向かうのではという楽観視があったのです。ところが、そこから一気に世界中に猛威を振るって行ったわけです。

こうなってしまうとオリンピックがどうのと言う話では無くなってくるのです。
さすがにオリンピックほどの大イベントともなれば不安な中で開催するものではないし、そんな中では、選手のモチベーションも下がるでしょう。

コロナの変異型が猛威を振るい出した
しかも、ヨーロッパでは、進化した新種のコロナウイルスの変異型が急速に広がっているのです。
イギリスのBBC放送によると、ハンコック保健相がこの新型コロナウイルスの変異型がイギリス国内で広がっていることを議会で報告し、この変異型ウイルスの実態はまったく以て解明が進んでいないことをあかしたのです。

日本の経済はどうなってしまうのか
人が集まることを規制すると、経済活動は停滞することは常識です。
とにかく、長引くと、公務員や大企業従業員はいいが、結局のところ、中小企業労働者、契約・派遣社員そして貧困層の人達や社会的弱者の方は、確実に割を食う結果となります。
下手すると、2008年のリーマンショック時の大規模な派遣切りの再来にもなりかねないのです。

そこまでいかなくとも、一時的な失業の増加は避けられないでしょう。
危機に直面するのは、観光業や飲食店だけでは無い、人を集めて収益を上げてきた業種は、軒並み淘汰されていくこととなる。

コロナがある限り、イベント業などは、入場制限や規制、制約でがんじがらめになり、警備や周辺環境の経費がかさむばかりで何事にもスムーズにはいかなくなる。
今迄はお祭り感覚を演出して他業種とコラボしたりで、より多くの来場客を集客させていたが、それも出来なくなるのです。

まとめ
今回のコロナウイルスの猛威によって、世界的な変化の始まりが起きているともいえます。
そうなると、そもそもの発想を変えていかなければならなくなるわけです。

今回の自粛の経験は無駄ではないと考えましょう、不自由といっても、震災の悲惨さに比べれば、生活には困らないで日常を送れているところは大きいのです。

更には、もし戦争になったらこうはいかないでしょう、それを考えたらこういう生活を体験しておくのは一つの教訓であり試練かも知れない。
また、将来のバンデミックに備えるためのものでもあるのです。

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