日本人も知っておきたいアフリカの疑問と基礎知識  その1

アフリカの疑問と基礎知識

令和のサムライ通信:アフリカの疑問と基礎知識その1の巻

今回は少し趣向を変えて日本人も知るべきと思われる海外の話題を取り上げて見ます。

先ずは、日本人も知るべきなアフリカの疑問に迫ります。
アフリカの国々は、何故、植民地化されたのでしょうか、また、せっかく独立を果たしたのに、何故争いが絶えないのか、この疑問に対して、簡単判りやすく解説します。


先ずは、植民地化と独立までの経緯

アフリカの混乱のルーツは、植民地化の当事者であるイギリスとフランスを中心としたヨーロッパ諸国の植民地化競争から始まります。

当初のアフリカ大陸は奴隷貿易の拠点に過ぎない地域でした。
アフリカの存在は人を寄せ付けない砂漠地帯や密林のジャングルだけの「暗黒の大陸」と言われ、長らくベールに包まれた手つかずの状態であったのです。

しかし、アフリカの密林地帯への探検によって、そこに豊富な資源が眠っていることが確認されたことで、アフリカ大陸の存在が一躍注目を集めることとなったのです。

これによって、ヨーロッパ各国は競うようにアフリカ大陸に進出し、植民地化が加速することになったというわけです。

そこで、いち早く動いたのが、インドの植民地化で大成功を収めたイギリスでした。その後にフランスが続き、ポルトガル、ベルギーやドイツ、スペイン、イタリアなどとともに激しいアフリカ大陸の争奪競争が始まることになり、競い合うようにアフリカ大陸のほとんどすべてが植民地として分割されたのでした。

アフリカの植民地化は最初に進出したイギリスが「アフリカ縦断政策」、縦に縦断してアフリカを支配するというエジプトからケープタウンを結ぶ鉄道構想です。

そして、少し遅れて進出を果たしたフランスが「アフリカ横断政策」、横に横断してアフリカを支配するという、サハラから右岸のジブチの接続を目指すというものです。

アフリカの植民地支配分布は、このイギリスとフランスの2大勢力が占めているのです。

そうか、だからイギリスとフランスの植民地が多いわけなのか、当時の両国の力で競い合って植民地化が行われたということですね。

イギリスとフランスによる縦と横での軍隊の進出が行われたことで、途中のスーダン付近で両軍の衝突が起きてしまい一触即発の事態となるのです。
これが有名な「ファショダ事件」です。結局、フランスがイギリスに折れて、それ以上の進軍を断念したことで、両軍の戦争は回避されたのです。

 

そうなると、早いもの勝ちで植民地が次々と出来てしまったというわけですか。

そう、こうして各国が競い合ってアフリカを侵略し、勝手に地域を植民地として囲ったことで、この地域で古くから対立していた部族同士を同じ植民地内に取り込むことになったり、同じ部族を分断してしまったりというミスマッチが生じてしまったわけです。
結局、この後先を考えない植民地化がおこなわれた結果が、後の大きな争いに結びついていったのです。

宗主国となった列強のヨーロッパ諸国は、植民地化後は、間接統治を引いて自国の都合のいいように支配をおこなったのです。

間接統治とは、植民地化をおこなう宗主国に従順な民族、部族に政権運営を任せ、総督という宗主国の責任者を置き、全権を担い背後で睨みを聞かせることです。
こうして列強諸国は植民地の富を独占して搾取してきたわけです。

アフリカの年
そして植民地からの独立ですが、1960年のいわゆる「アフリカの年」という脱植民地化の流れで、多くの植民地が一斉に独立を果たしたのです。

イギリスやフランスなどの支配国は、何故、植民地を手放したのですか。

何故こうなったかの原因を簡単に言うと、イギリスもフランスも第二次世界大戦での自国の消耗によって、植民地支配を続ける余力も無くなってしまったからです。加えて、支配植民地の人口も増え、民族対立が表面化しつつあったことで、厄介な事態になる前に独立させて手を引くのが得策と判断したわけです。要は、国家の自立を助けるというよりは、支配国の勝手な都合で手放したのです。

アフリカの大混乱は支配国の勝手が招いた
そして、アフリカ諸国での独立後の混乱は、この間接統治という植民地時代の政権をそのまま継承して独立させたことに端を発します。

アフリカの場合は、資源のある国と無い国に大別され、資源のある国は旧宗主国としては簡単には手放したくないので、傀儡政権(間接統治時代)をひいて背後で睨みを利かせ、資源のない国は、ほっぽりだす傾向がありました。

いずれにせよ、資源があっても彼らにそれを掘り起こす技術もないし金もない、独立したとはいえ、結局、先進国に頼るしか方法はなかったのです。
資源国家の多くは傀儡政権ということになり、反対勢力を多く産み、内戦状態となり、資源のない国は全くの未熟政権なので、さらに政治基盤は弱く、同じく内戦状態に陥るという大混乱に陥ったのです。

そういうことだったのか、ちゃんと先のことなどを見通して独立させたのではなかったのですね。

そうなんだよ、アフリカには、宗主国が残した鉄道や工場、生産施設なども多数ありましたが、それを引き継ぐ人も技術もなかったので、その結果、独立した途端に経済が停滞してしまったのでした。これじゃあ大混乱に陥るのも当たり前だよね。

 

まさか、なにも教えないで出てきてしまったみたいですね、それでは無責任もいいところでよね。

宗主国側は、植民地時代から極一部の従順な人だけに技術を教え込んでいたのだよ、ところが混乱と同時に、その技術者たちは殆ど殺害されてしまい、後を引き継ぐ者が誰もいなくなってしまったというわけです。こうして、宗主国側も予測できないくらいの目を覆いたくなるような惨状となってしまったのです。

アフリカの野蛮なイメージを作りあげたのは先進国
アフリカの実情を見るとあまりの滅茶苦茶な状態故に、アフリカ民族は血に飢えた野蛮で特別な存在ではないかの如く捉われてしまいがちなのですが、基をただせば、この争いを生んだ一番の責任はイギリスとフランスなどの先進国の横暴が招いた結果なのです。

アフリカ民族は確かに時代から取り残された原始的なままの生活を送っていたことは確かです。しかし、文明が栄えないということは、部族間の対立はあったであろうが、逆に言えば平和で素朴な社会であったのかも知れない。

またそれは、北米のインディオやオーストラリアのアボリジニも一緒です。

原始的な生活や遅れた文明での生活者は、当時の列強国の近代兵器には太刀打ちも出来ないので、いいように征服されてしまい、それは、スペインとポルトガルが征服した南米大陸も同じです。インカやアステカでは民族自体が滅ばされてしまったのです。

話は変わるのですが、日本はよく大丈夫でしたね、日本も危なかったのでしょうか。

日本が侵略に至らなかったのは、インドや東南アジアのルートから外れていたこと、そして、資源が大して無いこと、そして一番は先進的な社会が築かれていたことで、敵に回すより交易を結ぶことにしたというのが正解でしょう。

何より信長や秀吉などの優れた支配者がいたこと、更に江戸期には徳川という安定した支配構造が成り立っていたことで、日本を占領するには、相当な兵力を整えて挑まなければ太刀打ちできない、彼らにはその余力はない。

そして一番は、日本には天皇制や武士道精神の基に先進的な文化が存在していることです。これを見たイエズス会のスパイ宣教師たちは、この国にキリスト教文化を根付かせることは容易でないと判断したわけです。

アフリカ大陸や南米大陸には日本ほどの文明は存在していなかったので容易かったということです。

明日は、「日本人があまり知らないアフリカの疑問」その2が続きます。是非見てね。

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