お調子者の朝日新聞は何故、大新聞と称されたのか

朝日新聞の悪虐

令和のサムライ通信:朝日の悪虐11の巻

朝日はどうして大新聞と呼ばれるようになったのか、戦後から全盛期の朝日を振り返る。
今回も、朝日新聞の数々の悪行を風化させないために、朝日のしたたかさ、そして朝日がいかに調子よく生き延びてきたかを簡単、判りやすくご説明いたします。

 

先ず、最初に言っておきますが、「朝日の大新聞」は、自分で勝手に作りになられた言葉なのでしょう。
残念ながら、善良な日本国民は誰もそのような解釈をされていないようです。
ここでは特別待遇として「朝日の大新聞」とさせて頂きましたが誤解の無いようお願います。(朝日カワ嘘くんへ)

朝日も毎日も、戦時中にあれだけ軍部と一体化して戦争を美化し、戦争を煽り続けていた負い目があることで、まさか自分たちがGHQからそのまま存続を許されるとは思ってもいなかったでしょう。

それは、同じ敗戦国であるドイツの新聞は軒並み廃刊に追いやられているからです。

ドイツとの違い
日本の場合は、ヨーロッパと違い島国であることで、事情も大きく違ったからです。
これは、メディアとしての力量の違いとも言えますが、ヨーロッパ戦線では熾烈なプロパガンダ合戦が繰り広げられたのです。

それはゲッペルス率いるドイツ宣伝省、ソ連のNKVD、イギリスBBCの情報戦を見ればわかる通りで、心理戦においてはメディアの役割は途轍もなく大きかったからです。

それに対して、日本の新聞は、国内に影響力を持つ程度なので、弱体化の為にこいつらを利用すればいいと、不問にされたのです。

こうして朝日は調子よくツキに恵まれてスタートを切ることが出来たのです。
ここで大きかったのは、朝日の看板、ネームバリューがそのまま活かされたことです。

そうか、戦前からの読者をそのまま引きついたので、改めて開拓しなくともすんだわけですね。

そうなんだ、これは大きいよね、誰だって読み慣れた新聞が一番だしね、更にツキに恵まれたのは、混乱状態が逆に幸いして、国民は情報に飢えていたことで新聞に飛びついたのです。

 

なるほど、大混乱に陥ったら不安でしょうがないし、情報は本当に大切なものですよね。

国が敗戦となったら国民は不安に駆られるのは当然で、どんな情報でもほしくなる。まだ、テレビなど無い時代なので、特に新聞のもたらす情報は貴重なものだったのです。
こうして、GHQからお墨付きを貰った朝日は、違和感もなく順調に船出をきることが出来たというわけだ。

 

戦後は、色々な組織が強制的に解体させられていますけど、新聞社は本当についているのですね。ところで朝日が反日になったのはいつからですか。

最初はGHQの主導程度だったのが、GHQの撤退後は、社主であった村山家がクーデターで追放され、朝日労働組合の委員長であった共産党員の森恭三が権力を握り、その部下であったマルキストの広岡智男が社長に就任したことで、共産主義者が朝日を乗っ取ることに成功したのです。
それ以降、朝日は一気に左に急旋回し完全な極左新聞となっていったというわけです。

そしてその後は、労働組合や社会党を中心とした左派勢力の支持を受け順調に購読数を増やすことに成功、さらに、60~70年代当時は米ソ冷戦時代、日米安保、ベトナム反戦運動の絶頂期で、政界汚職事件等々もあり、朝日の追及報道は多くの左翼国民の支持を受け、大新聞(ご自分と仲間が言っているだけ)の地位を確立したのでした。この時期には、中国報道の独占権も握っていた。

なるほど、もうこの時期は朝日新聞の独壇場だったということですね。

こうして70年代になると、べ平連や全共闘による学園紛争が最盛期となるなど、左翼思想が蔓延る下地が目白押しであったのです。そうした中で朝日新聞は左翼勢力から絶大な支持を集めたのです。
当時の若者は極左思想を信奉し、本気で日本に革命を起こそうと考えた者もいたくらいなのです。その先駆けが、よど号ハイジャック事件を起こして北朝鮮に渡った赤軍派です。

 

お年寄りの方達に朝日新聞が人気があるのが少しわかりました。

このように1970年代の全共闘全盛時は、毛沢東やゲバラという革命家が憧れのまとで、反体制がカッコいい、国に逆らうことが善であるとされた時代でした。
そうした背景もあり、権力の横暴・腐敗を糾弾する急先鋒として反体制のシンボルである朝日新聞が益々もてはやされたのです。
団塊世代の一部にはいまだ洗脳の解けない、ジイサン革命家や頭の固い人が多いということです。

朝日による「日本悪玉論が完全形成」されたのもこの時代です。それまでは、日本は原爆投下などの戦争弱者の被害も強調されていたが、一気に流れが変わったのです。

こうした全共闘を中心とした新左翼運動の広がりで、日本人が敗戦国として被害国に謝罪し続けることがよいことで、日本人が被害者ヅラをすることは許されないという風習に変わっていったのです。

えっ、でも戦後の日本はことあるごとに謝り続けてきたはずですよね。

その通り、戦後の日本は散々アジアや世界に謝り続けていて、政府もどこに行くのも土下座外交ばかりで、精神的負い目を突き付けられるだけでなく、やたらに援助援助で金はむしり取られて散々な目に遭っているのだよ。
ところが、いつも朝日を中心とした反日勢力によって、そんなもんでは済ませないぞと脅しをかけてきたり、あちこちに行って日本人の蛮行を探し回っては、話を膨らませて告げ口までされてきたのだよ。

そして、悪名高い南京大虐殺の「中国の旅」も、この時代に書かれたものです。
この書は本にもなり、当時の自虐史観のバイブルとなり、多くの若者がこれに影響されることとなるのです。この書によって日本軍の蛮行(インチキ)が白眉にさらされ、改めて日本への憎悪が掻き立てられたわけです。

乱れた世の中に一番似合うのは朝日新聞
また、左翼全盛の70年代は、風紀の乱れたデタラメな時代であったとも言われたものです。ヒッピー文化や反戦フォークソングの流行、フリーセックスなどの性の乱れ等々、右も左も若者達がはしゃぎまわり、日本人は完全に平和ボケした状態にあり、とにかくいい加減な世の中だった。日本人の伝統的な精神や価値観が一気に失われたのはこの時期であるという人も多いくらいです。

いい加減な世の中と聞いても、今の50から70代の方達をみると、そんな体験をしてきたように見えないです。結局、年をとっちゃうと同じ感じになるのですかね、もう少し若者に理解を示してくれてもいいのにとも思っちゃいます。

まあ、すっかりジイサンバアサンになってしょぼくれちゃっただけだけどね。
今の若者から比べたら当時の若者は数段レベルが低いことは確かだな。
何たって、当時の日本の左翼は世界で一番安全な場所にいてベトナムでの反戦運動を叫んでいたのです。
そうした若者の状況を見て、戦争を体験した年長者からは、ただの甘えの反抗心であると批判の的となっていました。
こうして、日本人を弱体化させ、その根性を骨抜きにするという、朝日による自虐史観の植え付けは見事に成功したのです。

当時も朝日は群を抜いた反日でしたが、他のマスコミも時代に触発されて左に寄っていったのです。
まあ、一般国民は当時から朝日は危険な新聞と感じていたし、朝日ごときが大新聞なんてアホらしくてお笑いでしかなかったのです。今にして思うと、反日一辺倒で人気だなんて本当に不純な話です。

まとめ
今では見る影もない朝日ですが、当時は時代の流れに乗って大新聞をご勝手に謳歌していたということです。

朝日は、ここから一気に左翼世界の構築を図ろうと模索したのか、さらに過激さを増していき、とうとう捏造までに手を染め国民を貶める工作機関の姿を現しだしたのです。

戦後に日本で大暴れした共産主義者達はモラルも何もない相当なワルばかりだったのです。その名残が当時の朝日には巣くっていたのです。

だから平気で国を騙して土地の詐欺などが出来るのです。

ワルの総本山朝日は、日本人を貶める為に考え付くことはすべてやり尽してきた。

嘘がバレても止まらない、インチキ朝日カワ嘘くん達は恥ずかしげもなく今もホラを吹きまくっているのです。

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